ベトナム、バックパッカー一人旅2007

ベトナム、ハノイ

ハノイ最終日

ベトナム、ハノイの肉まん

2007/5/7ベトナム一人旅も最終日である。ハノイは見尽くした。教会の道沿いが交通量が少なく、けっこー気に入ったので朝食を探しに出かけた。

路上で老婆がカゴを置いて何かを売っている。葉っぱに包まれたモチのようだ。中身は肉まんの具で、皮は米のゼリーのような食感だった。イスに座って食った。美味かった。

何か探しに、文廟まで歩いたが、特に変わったものは無かった。疲れたので宿に戻ると、ロビーに数人日本人がいた。ビールを頼んだ。

昨日挨拶した老紳士がいた。彼は、他の宿に宿泊しているのだが、このリアルダーリンの前を通って、日本語の文字が書いてあったので入ってみると、日本人バックパッカーがいたので、遊びに来るようになったのだった。

これからラオスに行く人、バンコクに飛ぶ人、アンコールワットに行く人などがいた。そこにいる人は、最初はバンコクから始めたのだった。インド危ないですか?寝台列車とか不安だ、どうですか?と聞かれた。「インドは普通におったら全然安全ですよ。寝台列車も荷物縛っとけば危険では無いですよ」というしかなかったのだが。しばらく旅の話で盛り上がった。

ベトナム、ハノイのビールベトナム、ハノイのタバコ

宿付近を歩いた。道具屋筋でちょうどデジカメの電池が無くなった。もう撮影するもんは無いか。宿に戻り、タイガービールを飲んだ。右:ベトナムのタバコ。洋酒に合いそうなバニラ風味。

老紳士と話した。彼は福岡から船で中国に入り、南下してきたのだという。そこで興味深い話を聞いた。その船には73歳の老婆がいて、一人で北京大学に語学留学するのだという。スーツケースではなく、リュックを背負ったお婆さんである。「50歳なんかまだまだ子供ですよ」と言われた、と、笑う。彼もインドに行きたいが、怖いので今は止めておくと言う。

「インドより、中国の方が怖いですよ」と言うと、インドの方が怖いと言う。人それぞれか。

彼は50歳で早期定年退職をして、今は旅行や野球をしたりして、第二の人生を楽しんでいるようだ。職業は元社会の教師。いわれれば、学校の先生のような知的な雰囲気であった。

また、ベトナム人の平均賃金は今月収5万円くらいで、ここ数年間で2万円アップしたのだと教えてもらった。著しい経済成長である。

ベトナム、ハノイベトナム、ハノイのチャーハン

外出する気になれなかったので、宿のレストランでチャーハンを食った。かなり美味かった、ここで何回か食事をすればよかったと後悔した。金が余っているのでミニバス代を残して使わねば。ビール追加。飲んで喋って、また道具屋筋とかにフラフラ行った。戻って誰かと話して、と、出発の時間が近づいてきた。久しぶりに旅の話ができた、有意義な時間であった。

今夜の深夜便でソウルに行き、トランジット3時間で関空昼ついて、家帰らずに即効仕事である。イヤになるな。特に長期旅行者に会うと、早く仕事辞めないかんなあ、とすら思えるのだ。

ベトナム、バックパッカー一人旅を終えて

今回のベトナム一人旅は、メジャーしか行っていないので、次回は地方や村に行こうと思う。さっと周った程度なので、ベトナム人と親しく話してもいない。気質や民族性も分らない。

何が一番印象的で心に残ったか。数ヶ月経った今、思うのはベトナム戦争関係である。

世界各国で、日本各地で、戦争博物館や強制収容所など、戦争関係の施設を見学してきた。しかし、写真を撮影したことは一度も無い。出来なかったし、しようという気すら起きなかったのだ。今回初めて、ホーチミンの戦争証跡博物館で一枚だけ撮影をした。それは、ありがたいことに、このようなサイトを見てくれる人がいるので、伝えたかったからである。サイトを作成してきて、人に何かを伝えたい、と思ったのはこれが初めてである。

そして、石川文洋氏の「第3海兵師団”今日も無事でいられるように”」の写真を選んだのは、牧師に自分の生命の無事を祈る軍隊に添えられた氏の言葉であった。それは、私が長年戦争に対して考えていたことの、答えともいえる文章だった。

戦争は殺し合いである。政治的宗教的民族的、いろんな背景があるが、所詮は殺し合いである。そして、殺し合いに勝利した=敵国より多くの人を殺した、国が”正義=善”となっているのが、この世なのである。

ベトナム関係

某イベントで、ベトナム人の若者の発表に旅行写真を提供させて頂きました。2009年9月

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