ベトナム、バックパッカー一人旅2007
ベトナム、フエ◇画像をクリックすると拡大画像が別ウインドウで開きます
フエ、カイディン帝廟「欧米か!」
フエ市内のレストランで昼食後、マレーシア人のおっちゃんをホテルに送って、新しくアメリカ人の老夫婦が加わった。郊外の寺に向かった。外観もすごいが、内装の装飾が美しかった。ここにも、何かが宿っているような兵隊の石像が…
龍の目玉はガラス。
この廟の内装のガラスや陶器は、全て日本から輸入されたものである。
ガイド「キミは、日本人ですね。この内装は全て日本から輸入されたものでできています。これ(茶色のガラスの破片)は、ビールのビンです”ニッポン ビール”です」
「Wow!ジャパァ〜ン!!ナ〜イス!!」アメリカおっちゃんの目の色が変わり、イキナリ写真を撮りまくりだした。笑えた。ビールのビンぐらい、いくらでも居酒屋に転がってますぜ〜。
特に欧米系は仏教関係に興味があるようで、熱心に質問をする。こっちは説明聞いて「ホホウ、そうですかい」で終わりなんやけど。
この欧米おっちゃんの言動はかなりツッコミ甲斐があった(笑)これがホンマの「欧米か!」
ガイド「このハスの花(左上画像)は、何で出来ていると思いますか?私たちが日常使っているものですよ」即効分った。日本人なら絶対分る。ラーメンのレンゲだ。外人はマジでわからんようやった。
S「スプーンです」「そうです!正解です」「Wow!なるほど〜ォ!!スップゥ〜ンですかァ〜!!」妙にみんな感激…
「日本でラーメンにはこのスプーンがついてきますよ。私たちは”レンゲ”と呼んでいます」「そうですかァ〜!!」少しオリエンタルなジャパンの知識を外人に披露することができた。
「ガッデ〜ム!!」(←これは冗談です。。。そのうちこの笑える、いかにもなジンガイおっちゃんが”ガッデーム(テリーマン)”というんじゃねーかと期待したが、無かった)。
森や村を通る。山間部の山道を通ったり、市内からかなり遠いし、道がようわからんので個人で行くのはしんどそう
フエ、ミンマン帝廟、ベトナムのバイアグラ
ミンマン帝廟は広かった。帝廟より面白いことがあった。
ミンマン帝廟を造った皇帝は非常に絶倫で子供、孫が120人(うろ覚え)おったとか…という話の流れで、ベトナムのバイアグラの話題になった。ベトナムのバイアグラは小は50000ドン、大は100000ドンで、ここらへんの売店でも購入できるらしい。
ガイド「ベトナムのバイアグラは、どうですか?」全員笑った。このとき老夫婦はバスで休憩していて、自分と欧米カップルだけだったのだ。
しかし、私と欧米カップルの”笑い”は違っていたのでそれがさらに笑えた。ジャパンのバックパッカーが笑えたのは、真面目な髪型の青年ガイドの表情であった。
真面目くさった青年が妙な笑みを浮かべるのが笑えたのだ。彼は非常に博識で英語がうまかった。誰が何を聞いても即座に答えられる。今まで何度も英語ガイドに参加したことがあるが、彼が一番優れていると思った。日本人に分りやすい言い方と言葉を使ってくれているのもあるのだが、発音がきれいで、聞き取りやすいのだ。分らない時、聞き返すと、分りやすく熱心に説明してくれた。欧米人との会話やジョークを聞いていると、アメリカに留学していたようである。優秀な人である。
「バイアグラ、街でも買えるんですか?」「買えますよ!!私に言ってくれれば、用意しますよ!!」ガイドは力説しだしたのでさらに笑えた。彼が旅行者にバイアグラを調達すれば、いくらかバックマージンが入るのかもしれない。また、土産物屋とも提携しているのだろうか。
フエ、ティエンムー寺
左:寺までの風景。
最後は、川沿いの寺である。台風の被害に遭ったので、庭や屋根を修復していた。
本堂の横に、修行僧の学校や寮があった。12歳までの児童がここで寝泊りして勉強や修行をするのだ。児童の髪型は特徴があった。水滴のような前髪をたらしてあとは剃っているのだ。これはベトナムの子供の修行僧の髪型である。
「多くのベトナム人は貧しいんです。ですから、親は子供をお寺に出家させるんです。家族にとっても、子供たちにとっても、そのほうが幸せなんですよ」
100%仏教寺だったので、本堂に祈りを捧げた。やっぱ仏陀の寺には賽銭を入れて本気で祈ってしまう。
人々が熱心にお祈りをして、お坊さんが鐘を鳴らして読経していた。
寺などに漢字が多く使われているが、漢字やとなんか理解できる気にさせられる。南無阿弥陀仏のやうな。
フエ、ボートの川下り
雷が鳴って雨が酷くなってきた。ちょうどツアーの最後で雨が降り出したのでタイミングがよかった。最後はボートで街に戻る。川の水は汚かった。
ボートの中に、物売りのオバハンが待機していた。ジュース10000ドン。高い。オバハンはカップルと夫婦に熱心にスカーフをすすめる。バックパッカー一人旅であるTraveler-Sには、ジュースしかすすめなかったが。買わんかった。
誰も何も買わなかったので、傷心のオバハン後姿…
市内の船着場に着き、宿に戻った。充実したツアーであった。