
トルコ共和国
カッパドキアの自然に感動、イスタンブールにガックリ、後の旅仲間となるKEN氏、東欧で再会することになる皆との楽しい出会い、エフェスビール、世界で一番怒りと感謝が同時に同居した国。

シリア→トルコ入国アンタキア、アダナ〜睡眠薬入り(?)キットカット、ケンカ
2005/7/12
シリア・アレッポから長距離バスでトルコへ。私の隣には、シリア人らしきおばさんが座った。インターチェンジに止まると、おばさんはバスから降りて戻ってきていきなり私にキットカットを差し出した。
今まで目も合わさず、挨拶すら交わしていないので、その行為に疑問を感じた。一応礼を言って受け取ると、彼女は「私も食べますよ」と言わんばかりに、私の目を見てお菓子を食べた。その表情、食べ方が怪しく見えた。これは絶対睡眠薬強盗だ、と直感で思った。私がお菓子をリュックのポケットにしまうと、気のせいかおばさんはがっかりしたように見えた。
ボーダーでは、バスのトランクから荷物を全部出し、車体の下まで入念なチェックが行われた。 そして、バスはトルコ・アンタキアに到着した。まず両替した。トルコリラはインフレで額が大きいので、金額を確認するのが大変だ。電卓を借りて入念に金額をチェックする。間違えてまたやり直し…めんどくせー国や。
バスターミナルに戻り、アダナ行きのバスを探した。初めはだいぶボッてきたが、最終的には相場以下になった。
バスの車内で、さっきのおばさんからもらったキットカットが本当に睡眠薬入りなのか、試した。キットカットは普通の味だった。どのくらい経った後かは覚えていない。いきなり、強烈な眠気が私を襲った。
睡魔の原因が、睡眠薬入り菓子という先入観と長距離移動の疲労だったのか、本当に睡眠薬入りだったのかは定かではないが、その時思った「やっぱ、睡眠薬入りやったか…」、と。
どれくらい眠ったのか、頭を窓にぶつけた痛みとヨダレで目が覚めた。バスはインターに止まっていた。外に出ると、運転手と車掌が、ヨーグルトドリンクとピザを奢ってくれた。
ここはものすごい湿気と暑さだった。汗がダラダラ流れて苦しい。白い立派なモスクが見えた。観光する気にもならない。ひたすら中心地目指して歩く。しんどそうな私に、一人の太った青年が寄ってきた。ウゼえ〜!!分ったぞ!皆が言っていた「トルコ人ムカつく」ってのは!!
男は非常に下手なカタコト英語で言った「レストランがどーの」日本人狙いのボッタクリ店の客引きか?
「ついて来んなよ!あっち行かんかい!」
男は知っている限りの英単語でウダウダぬかす。怒っても同じだ。「どっか行けや!ボケ!」どこかの情報ノートで仕入れたトルコ語スラングを思い出して言ってみた。男はヘラヘラ笑った。怒りを通り越し、頭の中が真っ白になった。男の胸倉を掴んだ。殴る寸前で男は逃げた。
追いかけた。「殺す!」荷物を背負っているので不利だ。道端の人たちに叫んだ。「あいつを捕まえてくれ!悪いヤツなんですよ!」しかし、誰も助けてはくれなかった。結局逃げられた。すごすご引き返す私に、道端で傍観していた人たちが聞いた。「どうしたんだい?」私は言った。「あいつは悪いヤツですよ」「でも、キミ達は会話していたじゃないか?」「…もう、いいよ」
くだらないことだった。でもムカついた!湿気が多いから余計に。
何の情報も持っていなかったので、インフォメーションセンターを探した。しかし、そこの人は英語が通じなかった。しかし街で親切な人が安ホテルを教えてくれたので、なんとか今夜のベッドは確保できた。
トルコには腐ったクソもいるが、大概の人は老若男女問わず親切だ。不快なことがあっても、心の優しい人に救われる、その繰り返しだった。次の日もケンカ〜ボケを相手にする自分がアホなんかもしれんけど〜止められる、親切にされる、という具合に。
本当はケンカや罵倒などムカつく事はもっとあったのだ。が、それらを全て書いて、トルコの旅を悪い思い出にしたくない、すっげーいい人も多いしな、ので、ケンカネタは1/10ぐらいしか書かんことにした。
アダナ〜トルコ人は自分らのことをアラブ人と思ってない、ヨーロピアンやと思っている
2005/7/13
朝、とりあえずアダナを観光するが、これといったものはなかった。長距離バスターミナルでギョレメ行きの切符を購入。トルコはバスが発達し、たくさんのバス会社があるので、客引きも頑張っている。勿論「オーレンジ(学生)」と言いまくって値切った。学割は通用する時としない時があった。
バスでは、「コロンヤ」という香水ほどきつくない、オーデコロン(コロンヤはコロンの語源かは知らんが)が客にサービスされる。手にふりかけられるのだ。柑橘系のいい香り。
バスターミナルのベンチで、エメッキ(トルコのパン)を食べていたら、おばさんがタッパーからチーズを取り出して、くれた。「パンに付けなさい」と。トルコではしょっちゅう知らない人から食べ物をもろたり、シャーイをご馳走された。私はシリア〜トルコ間のキットカット以外は、疑いもせずに全て食った。大丈夫だったが、イスタンブールのツリーに、睡眠薬強盗にあって全部盗られてボロボロになった人がたどり着いたそうだ。
途中どっかで乗り換えがあり、外でタバコを吸っていたら、トルコ青年2人に話し掛けられた。「シリアから来た」というと、彼らは「ああ、中東から来たんや」と言った。思い出した。みんなが言っていたことを。トルコ人は自分らのことをヨーロピアンやと思っているから、ムカついたら「アラビー(アラブ人)」ってゆうてやったらいいぜ!と言う面白いことを!
「トルコも中東やろ?」予想通り、彼らは反論した。
「トルコは中東じゃないよ!宗教はイスラムで同じだけど、私たちはアラブ人じゃないんですよ!」
彼らは一生懸命にワシらはアラブ人やない、トルコは中東じゃない、シリアとかと同じでは無い、と説明。
バスが来た。
「世界中の人は、トルコは中東だと思ってるぜ!」と言ってやったよ!本当のことや!でもまだ違うといい続けとったがな…
カッパドキア〜奇岩の街、エフェスビール
1回乗り換え、ギョレメに着いた。バス乗り場横のインフォメーションで宿を紹介してもらった。
「Ishtar Pension」は、渋いキャプテンが経営するとても居心地が良いお洒落な宿だった。部屋は洞窟ドミで涼しい。無料のキッチン付き。テラスからの眺めも良く、葡萄の蔓に囲まれ奇岩を見ながら飲むエフェスビールは最高だった。葡萄が実ったら、自家製ワインを作るそうだ。
長期滞在でバイトしている日本人の女の子、隣の宿の人達も遊びに来て、みんなで宴会した。カッパドキアワインも美味かった。
皆長期旅行者や、欧州の留学生だった。中にはウクライナに留学している人もいて、ウクライナという国を初めて知る事ができた。勿論旅情報交換もできた。
右:Ishtar Pensionのテラスからの眺め
2004/7/14
宿の35$ツアーに参加。他の宿と合同。ランチ付。見晴らしのいい崖、地下都市、きのこ岩、谷、遺跡を巡る。谷から昼食場所までハイキング。久しぶりに魚を食べる。内容と値段は相応だった病気では無い。
毎晩一緒に酒を飲んでいるKENとHIROがカッパドキアの水で下痢なので、正露丸と滋養強壮剤牛黄清真丸をあげた。やはり中東の水は危険である。後にサフランボルでトルコに留学している学者に聞いたが、カッパドキアの水は石灰岩で体に悪いとのことだった・・・。二人ともかなり酷いらしいが、KEN氏は普通にビールを飲みまくっていた。
ついに、この宿に新しい仲間が来た。ドミは1部屋なので、私と同室だ。彼は日本人で緑のTシャツを着ていたので、私たちは彼を「緑の人」と呼ぶようになった。
彼は福祉の勉強の為のスゥエーデン留学を終え、南下してイスタンから帰国するとのことだった。私が感心したのは、彼が普通の留学ではなく独学でスゥエーデン語を勉強して、新聞を購読し、バイトしながら福祉の勉強をしていたことだった。
偉い人やな…彼の夢は、日本で障害者の人の為の新聞を発行することだった。皆でよく話していたのに、何故か誰も名前を聞かなかった。後からイスタンブールのツリーでKENは緑の人と再会した。そして誰も彼とメール交換しなかったことを後悔した。
2004/7/15
ギョレメ周辺の奇岩散策。畑の緑が、青空と白い岩に映えて美しかった。どこに行っても古代の住居跡、穴があり、誰も行かないところに見事なキリストの壁画があったりと、探検気分を満喫できた。野糞をしてしまった。
2004/7/16
緑の人と一緒にきのこ岩に行く。バスが来なかったのでヒッチハイクをした。朝から突然の嵐、晴れ間と天気がころころ変わる。きのこ岩はスーパーマリオの世界だった。
Ishtar Pensionは、本当に居心地が良かった。オーナーは「キャプテン」と呼ばれる、ダンディズムで、最初は元気やったのに、最後のほうでだんだんふさぎこんできたので、みんなで心配した。12歳くらいの息子とバイトの女の子のケンカが笑えた。
宿泊客が自分と2人の日本人と隣の宿の2人(後日ここに移った)の仲間で1軒独占状態だったからというのも大きな理由だった。カッパドキアの街ものんびりして、無駄なケンカも無く、とても良い街だった。キャプテンに別れを告げ、皆に見送られてアンカラ行き夜行バスに乗り込んだ。
アンカラ→サフランボル〜世界遺産の街で美人VSおばちゃん軍団、ハマム体験
2004/7/17
早朝トルコ首都アンカラ着。バス会社でチケット購入。腹が減ったのでパンを食う。トルコのパンは中東で一番美味いと思った。エキメッキは期待程でも無かったが。
サフランボル着。インフォメーションで扱っている宿は高かったので、情報ノートや皆に教えてもらった人気宿バストンジュへ行ってみた。ここの客は圧倒的に日本人が多く、次いでフランス人、韓国人だった。立地条件も良い。宮沢りえ似と評判の宿を仕切っている美人娘は日本語が上手・商売上手な賢いしっかりものだ。しっかりしすぎで金にシビアな面がマイナスかな…顔は可愛いのに!
一番安い部屋は、3畳間に2段ベッドがあるだけの簡素な物置部屋だったが、迷わずそこにした。観光地なので物価・宿代が高いのは仕方が無い。
早速観光に出かける。中央に市場があり、伝統的な家が並ぶ。日本で言う京都みたいな歴史的な美しい街。丘へ登り下を見ると、ハマムの屋根が見えた。不思議な屋根やった。全部の家が1つ1つ違い、それらが集まって、世界遺産を創り出していた。サフランボルの人々も田舎の素朴な感じを受けた。ここで撮った少ない写真が全てボケていたのがショックである。
バストンジュは1階で土産物屋も経営していた。スカーフや民芸品などを販売。そこに、嵐がやって来た。日本人の賑やかなおばちゃん団体だ。しかも世界最強かもしれない大阪のおばちゃん…しっかり娘が日本語で商品を説明するとおばちゃんたちは口々に大声で言った。日本語堪能な娘もタジタジである。
「あそこの店の方が安いわ〜、3つでなんぼやった?」「××円や」「(娘に向かって)あんた、向こうのが安いからな、むこうで買うわ!」「行こ、行こ!」
商売上手な賢い娘も、おばちゃんパワーには敵わない…!
宿でバスの切符を予約すると、割高だったので、下の街まで歩いた。かなりの距離だったが、風景が良かったので辛くは無かった。街で切符とエフェスビールを買い込み戻った。屋内は全禁煙だった。厳格なムスリム一家なので女性はスカーフ姿で、ビールを冷蔵庫に入れることも禁じられていた。テラスでタバコは吸えたが、ムスリム一家の前で飲酒をする気にはなれなかったので、部屋でこっそり飲んだ。長居は不可能な宿である。
夕食は宿で家庭料理(別料金)を食べた。同じテーブルにはアンカラに留学している日本人学者カップル、日本人男性だった。サラダ、野菜リゾット、米の葉っぱ巻き、野菜のおかず…と、メインと言える物が無く、米と葉っぱだらけで量が少なく物足りなかった。
カップルはトルコ料理を説明してくれた。彼らはこの夕飯に満足していたが、私ともう一人の男性は、満足できなかった。絶対これでは夜中に空腹で目が覚めるだろう。カッパドキアのHIROは、魚料理が出て、食いきれないボリュームだった、と言っていたが。。。仕入れができんかったんかな。運が悪かったのだろう。
2004/7/18
朝からハマムへ行った。宿の飼い犬が着いてきた。彼はとても賢かった。タオルを引っ掛けた私がハマムへ行くことが分かっているのか、先導してハマムまで案内してくれた。
まず服を脱いで草履に履き替える。風呂は美しい大理石で頭上から光が差し込み、湯気が立ち、雰囲気満天だ。風呂に入り、中央の大理石の台に寝かされ、皮膚を柔らかくして垢すりが始まった。旅に出てから湯船に浸かってまともに体を洗ったのは、これが最初で最後となった。大量の黒い垢が出た。
最後にゆっくりと街を散策し、同じ宿の男性もイスタンブールへ向かうので、一緒に行く事にした。彼は会社の夏季休暇でトルコ周遊に来ていた。街の安食堂で豆スープとライス、惣菜の定食を食ったが足りなかったので、別の店でチキンも食った。
夜行バスは、途中どこかのバスターミナルに停車した。人が凄く多い。オーバーブッキングだった。何故か私はバスを降ろされた。頭にきたので車掌に抗議した。
「何でですか?切符持っていますよ!!」
「次のバスに乗って!」
本当に次のバスは来るのだろうか?いざとなったら野宿やな…。寝ていた連れを起こし、事を説明した。彼は降ろされなかった。二人で話していると、彼の隣に座るように言われた。日本人は私たちだけだったので友達同士と分かったのだろう。もし私が一人だったら、乗れなかったかもしれなかった。
イスタンブール〜マジで世界遺産かい?!
2004/7/19
早朝イスタンブール到着。まず宿を探した。一緒に来た青年は、目当ての宿があったので別れた。カッパドキアでKEN氏に教えてもらったシングル5$の宿に行ったら倒産していた。付近のゲストハウスを回ったが、泊まりたい雰囲気では無かった。
歩き方の地図のコピーを参考にして、韓国宿東洋に行ってみた。大通りなので交通の便も良く、韓国料理レストランがあったのでとりあえずチェックインした。 地下の4人ドミには、一人先客がいて寝ていた。シャワーを浴びて、昼まで仮眠し、昼飯を食って地下宮殿に行った。学割は無く、入場料が高いことに驚いたが、ここは雰囲気があって妖しくてゴシックで気に入った。賛美歌はやっぱりいいね〜
右:アヤソフィア、左:地下宮殿のメドゥーサ。 メドゥーサ見たらベルサーチ連想する。賛美歌BGMが流れ、巨大魚が地下水脈を泳ぐ。妖しい空間。現在学割無し。
問屋街のモスクや、観光地を周った。水を買った商店の老人夫婦に、茶の間でシャーイをもらった。都会なのに、親切やなあ〜
夕食は宿のレストランでラーメン定食を食った。麺はインスタントだったが、久しぶりのキムチと白米がとても美味だった。
2004/7/20
シングル10ミリオンのEmekホテルに移動する。朝東洋を出ると、偶然にサフランボルから一緒に来た男性に出会った。彼の目当てだった宿も潰れており、とりあえず周辺の安宿に宿泊したのだが、Emekを下見してよさそうなら移動したい、とのことだった。
Emekはこの界隈にあり、歩いて行けた。ホテルに入って、私は正直驚いた。「うわ…すっげえわ!ゴージャス!」玄関正面に小さなフロントがあって、きちんとしたテーブルと椅子があるロビーがある。「ホテル」だ!
しかし、その感動は一瞬だった。自分に問いかけた。「日本でこのレベルのホテルでビビるか?」冷静になった。日本でヒルトンに入っても、なんも思わないではないか!
そう…自分が落ちてしまった事に気づいた。それは自分だけでは無かった。後日遊びに来たKEN氏も、感動してすぐに落ちぶれた自分につっこんだそうだ…
フロントのおじさんは紳士的で、シャーイを出してくれた。一番安いシャワー・トイレ共同シングルルームはTV付きだ。そしてワールドキャッシュの残高確認の為、新市街のCITIバンクに歩いて行った。
新市街に行くまでにでかい橋を渡る。たくさんの人が釣りをしている。有名なサバサンドを食おうと思ったが店が無かったのであきらめた。高架下とかに店があった。対岸からイスタンブールを見る。
「これが世界遺産かい?!」イスタンブールが世界遺産になった理由が分らんかった、みんなも同じ意見だった。
残高確認をして、塔に行った。途中で小型トラックに轢かれそうになったので、トラックの窓を殴った。「危ね〜!」ヒビが入りかけていた…やべ〜!逃げよう!当然オッサンは怒った。トルコ語が分らんので何を言っているか分らん、しかし轢かれていたかもしれないのだ。正当防衛だ!無視してもついてくるので完全に無視していたらあきらめて戻った。塔は入らなかった。
2004/7/21バス会社でブルガリア・ソフィア行きのチケットを予約。朝サフランボルからいっしょに来た人にフロントで会った。彼は今夜帰国するので、日本の「スーパーマイルドシャンプー」をもらった。貴重な品だ。やはり日本製の品物は世界一の品質だ!バザール観光後、夕方、KEN氏が到着した。
早速ビールを買いに行った。トルコはビールの種類がまあまあだ。ヨーロッパもんもある。商店の値段が微妙に違ったので、1ミリオン安い店まで戻ったことが笑えた。ドイツビールとエフェスを半々購入し、ホテルのテラス(洗濯物干し場)で飲んだ。
彼はコンタクトを無くしたので、ここでコンタクトを買う必要があった。眼鏡では、緊急事態に落として割ったり、殴られたりしたら危ないから、という理由だ。
2004/7/22KEN氏が宿泊するツリーに情報収集に行く。1階が絨毯屋。東欧のガイドブックを持っていないので、コピーする。ツリーに行くと管理人のおっちゃんが階下で旅行者と話していた。彼らが帰るときの一言に、耐えられなかった。おっちゃんは「また、来てください。今度は、ボクの友人として…」友達ではない、ユウジンと言ったのだ。みんなが笑いをこらえていた。バカにしていたのではない、その管理人が、そーゆーキャラやったからだ。ダメだった、私は笑ってしまった。
そしてツリーのリビングで本を収集した。ここに宿泊すればよかったなーと後悔した。安い美味い日本食があって、ガイドブック、マンガ、ネットは安い、日本人ばっかやし面白い、と実に楽しそうだったからだ。ここに長期滞在していた遠藤さんは、中澤君を知っていたし(私がイスタンに着くずっとまえに帰国したが)、東部に行ったやろうと思っていた花さんもまだ現在ここに滞在していたのだ。花さんに再会することができなかった。
ツリーには他にも女性宿泊者がいた。彼女とはこのとき挨拶を交わしただけだが。KENから聞いた話では、彼女は2年前に知り合ったトルコ青年に会いに、金を貯めて仕事を辞めて来たとのことだった。
私たちはそれを純粋に「恋愛」だと受け取ることができなかった。「?」ておもてしまう。彼女は30代前半くらいの、眼鏡で大人しそうな真面目タイプだったからだ。「彼に会う為に、金貯めて、仕事辞めた」とまで、騙されんとけば、いいけどなあ〜、が結論だ。本人が幸せなら、それはそれで「恋愛」の一つかもしれん。
他の旅行者から、イスタンブール怪しいやつ多い、日本語ベラベラなんもおる、と聞いていたが、自分は一度も怪しい人間に遭遇しなかったし、誰もよってこなかった。同じホテルの青年もそうだった。運もあるんかもしれんが、いうほどイスタンブールは危険とは感じなかった。
情報ノートとガイドブックを持って、KEN氏と鈴木君と学生街の安いコピー屋で手分けしてコピーした。鈴木君とは偶然にブダペストで再会する。その後バザールを歩き、安くて美味いと評判のロカンタ(食堂)へ。ここら一帯はロカンタが並び、道路にテーブルと椅子が並んでいる。
1軒のロカンタに決めた。食べ物は、カウンターに並んでいるので指差しでOK。値段忘れたが、かなり美味くて安かった。そして食後のシャーイをサービスしてくれた。親切やな!
そして近くのコンタクト屋に入った。今思い出しても笑える。店主が出したコンタクトが「カラーコンタクト」だったからだ。「ヨーロッパ行くために、はりきって日本人がカラコン入れたら、アホやないか?!」
イスタンブールはまともに観光しなかった。地下宮殿とモスクぐらいで、物も買わんかった。他の人たちも同様だった。なんか入場料高いし、学割ないし、なんか観光する気がしない都市であった。
そして一足先に、夜行バスでブルガリアに向かった。あんまし「国境越える」感じはしなかった。ブルガリアに入って腹が減ったがブルガリアの金が無かったので何も買えなかった。