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スイス
美しい野花、青空に生き生きと映える木々。澄んだ空気、水、そして動物達。緑が旅の疲れを癒してくれる。アルプスは夢の世界、いや、天国に一番近い場所なのかもしれない…自然は偉大である。しかし物価は非常にすんごく高い…
旅のルート
イタリア→インターラーケン→ブリーグ→イタリア→エジプト |
フランス→イタリア国境〜田舎の小さな駅で起きた盗難事件 2004/5/26
アルプスが恋しくなり、急遽スイスに行った。ニースからイタリア国境まで行き、一旦下車して待合室で鈍行を待っていた。小さな国境の駅である。待合室には他数人いた。その中で中年の男2人組に違和感を感じた。手ぶらで、電車を待っている風には見えなかったし、ホームレスにも見えなかったからだ。身なりも良いとはいえなかった。
数分後、盗難事件が起きた。横に座っていたおじさんが聞いた。「ここに置いてあった私の鞄を知らないかい?」鞄から目を離して売店に行った隙に、鞄が無くなったらしい。当然、隣に置かれた彼の鞄の存在すら知らなかったし、周りの客も同じだった。誰も巷にあふれる普通の鞄なんか気に留めるわけが無い。もしや、あいつらが?そして怪しげな違和感を感じた中年男達は消えていた。こんなのどかな田舎の駅でも盗難は十分ありえるのだ。
イタリア→スイス〜湖水地方を抜けてアルプスへ
鈍行列車を乗り継ぎ、やがて車窓から美しい湖が見えた。イタリア北部、湖水地方だ。建造物も今まで見たイタリアのそれとは違っていた。あまりにも美しいので下車して泊まろうか悩む程、魅力的な風景だった。トーマスクックで確認するとこの路線は湖の景勝線だった。湖水地方は次回旅することにして、イタリアとスイスの国境に到着。
左画像:車窓より。イタリア〜スイス間
欧州の国境はどちらの国の雰囲気も持っているので面白い。ここでスイスフランの両替も出来たが、駅はレートが悪そうなのでやめておいた。
ここからの列車はスイスの車両だった。同じ喫煙車両には私を入れて二人だけ。列車はいよいよ山に向かう。途中小さな駅で停車し、パスポートチェックがあった。
いよいよ、列車はスイスに入った。
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インターラーケン〜湖のほとりのユースホステルBNIGEN
列車乗り換え。スイスに入ると運賃は倍になった。夕方インターラーケンに到着。駅は新しく、前に大型スーパー、ロータリーがあって便利そうだ。インフォメーションは閉まっていたので、何の情報も無い私は切符売り場の人にYHの場所を聞いた。彼は地図を書いてくれ、丁寧に行き方を説明してくれた。インフォメーションが閉まっているので彼はかいがいしくその仕事もしていた。働き者な青年の笑顔でスイス人に好感を持った。
経費削減の為、徒歩でYHに向かった。大通りを歩いていると向こう側から2人組がやって来た。一人はキレイな緑色のサリーを着たインド人マダム、もう一人は以前の勤務先の女子社員にそっくりな日本人ぽい女性だった。「なんでここでサリー?なんでここに××さんがおる?」それは予測不可能な光景だった。
2人はその場で止まった私に微笑んで通り過ぎた。どうやら××さんではなかったようだ。
やっとYHに到着。さっきの2人もここの宿泊客であった。玄関で話しかけられたアジア系の女性は台湾の人で、シルクの高級そうなサリーに身を包み、ワニ皮のバッグを持ったインド人マダムは、意外にもユースホステルの客だった。上:夕暮れ時のYH裏の湖 下:湖から見たYH・BNIGEN
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グリンデルワルト〜ゴージャスな朝食に感動、ハイキングする 2004/5/27
さすがスイスである。YHの朝食はとてもゴージャスだった。オーストリアのYHも豪華だが、それ以上だった。数種類のパン・クラッカー・胚芽のバー、甘さ控えめのジャムは絶対無農薬だろう。オーガニックか・・・これも数種類。バターの塊に色んなハム、チーズ、梨、バナナ、林檎。シリアルに蜂蜜、ヨーグルト、フレッシュミルク。紅茶とコーヒーの種類も多く、オレンジジュースは果汁100%だ。どれも最高に美味!物価の高いスイス…セコイやつはここで昼食分も食い溜めし、夕食分も調達する必要があった。しかし、サンドイッチを作って鞄に入れるところをおばさんに見つかって叱られた。「これを見なさい!」豪華な食事に夢中になるあまり、気が付かなかった。カウンターには「食べ物を持ち出すな。破った人は罰金です」と書かれていた。しかもドイツ語、英語、日本語でな!「すいません」謝ってサンドイッチを全部食べた。食いすぎてベルトを緩めた。幸いここはキッチンがあったので自炊出来た。助かった。
 
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早速ハイキングに出かけた。目指すはハイキングマップでチェックした滝である。道の至る所にハイキングルートの案内看板があり、分かりやすい。しばらくすると、隣町の教会が見えた。そこでお参りして裏に回ると、山上に行く登山道があった。登ろうか迷っているとお婆さんがドイツ語で話し掛けてきた。彼女は登山道を指差し「Nineなんとかかんとか」と言った。Nine(=No)の意味しか分からなかったが、まだこの5月の時期ここは山開きしていないのだろう。「Ja!ワカリマシタ!Danke!」理解した事が分かると、お婆さんは安心したようだった。スイスの人は本当に親切だ。
グリンデルワルトというハイキングコースを歩いた。スイスの公衆便所は無料でキレイでジャパンレベルであった。さすが金持ち国スイスだと感心した。
 
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左:滝と羊たち
右:牛の群れ 
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ハーダー・クルム〜林の中を下山。Kals村の恐怖よ再び
2004/5/28
スイスの物価は非常に高いので、運賃の安い、標高が低いケーブルカーを探した。オスト駅近くのハーダー・クルム展望台が付近で一番安かった。右:展望台には山羊が飼われている
展望台からは、山に囲まれたインターラーケンの美しい街、湖が見えた。
そして下山した。林の小道はひんやりとして、朝露で湿っていたので滑らないよう注意した。誰もいない静かな山道は怖かった。時折木がガサガサと音を立てるのだ。昔オーストリアのKals村で帰りのリフトに乗り遅れ、道の無い山の林中を必死で下山した恐怖を思い出した。だが、今回は道も道しるべもあるので大丈夫だ。40分くらい下ると、人の気配がした。前から欧米人の夫婦がやって来た。
「Hi!ここから展望台までどれくらいかかるんだい?」
「約40分くらい」
などと少し話して、少し安心した。それ以降人とは出会わなかったが、途中滝が流れていたり、大きな岩があったり、景色が見えたり楽しんで下山した。林を抜けると、牧場の中に出た。私有地だ。ルートを外れてしまったのかもしれなかった。
 
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シーニゲプラッテ〜まだ雪の残る高原
2004/5/29
ユースのインディアン・マダムに登山電車でユングフラウヨッホに行くことを強く勧められた。
「ここにきたらユングフラウヨッホは絶対行くべきよ!素晴らしいわよ!運賃は高いけど、それだけの価値は十分あるわ。寒いからセーターを持って行きなさい」
ユングフラウヨッホまでの運賃は、怖ろしく高すぎた。迷う事無く諦めた。しかし登山電車に乗りたいので資料を探すと、今日からシーニゲプラッテ高原が開山していたのでそこに行くことに決めた。
駅まで歩き、赤色の可愛らしい登山電車に乗った。一面黄色のタンポポ畑や、高山植物が咲く中を電車はゆっくりと走る。
シーニゲプラッテ駅に着くと、まだ雪がたくさん残っていた。もし動物を飼うならば、シーニゲプラッテと名づけようと思った。

雪の中を、人々の足跡をたどってハイキングした。みんな登山の完全装備でストックを使いすいすい歩いている。硬いデニムと3年間履き潰したスニーカーで雪山の斜面に挑む一人旅のジャパンは無謀だった。滑って転んで雪穴に足を突っ込みながら、ウォーキングコースを2時間歩いた。初夏になったら、ここは高山植物に覆われて美しいんやろうな、と思った。
アルプスの自然と動物
2004/5/30
短かったアルプス滞在も最終日。ただ自然の中を歩くのは、本当に楽しくて元気が出た。緑が持つ癒し効果を実感した。
名残惜しいが、午後イタリアに出発した。 |

YH裏の湖 
馬の親子 
スイスの美しい家 |

農家の牧場 
畑仕事をする人々 
干草を欲しがるロバ |
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ミラノ→ローマ→エジプト〜空港で野宿、空路でアフリカ大陸へ
右:乗り換え駅ブリーグの街にて待ち時間に城観光をした。野生のサクランボを収穫した。今夜のツマミ、デザートである。美味かった十分。
ミラノからローマ行き夜行列車に乗った。夜のミラノ駅周辺は怪しい雰囲気だ。タバコを吸うため外に出ると、早速危なそうなオッサンが近寄ってきた。スリかもしれんな。。。駅前広場向こうのマクドに食欲をそそられたが、断念した。
列車に乗り込むと、いつものように荷物をワイヤーロックで棚に縛りつけた。電気は点かなかった。外の薄明かりだけである。
2004/5/31
早朝ローマ着。腹が減っていたのでマクドで朝食。明日のエジプト行きフライトが早朝なので今夜はフィウミッチーノ空港で野宿である。夜まで観光することにした。
まだ行ったことのない美術館や教会を見学し、夜空港に向かった。
空港で過ごしやすそうなベンチを探して落ち着いた。荷物を椅子に縛り、菓子を食い、寝ようとしたが明るいのと電気工事や掃除の音で満足に寝付けなかった。
2004/6/1
カイロ行きルフトハンザはオーバーブッキングで、2時間待たされた挙句、アリタリアに振り替えられた。いよいよ、アフリカ大陸に出発だ!
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