バックパッカー一人旅〜海外旅行記と旅情報

ルーマニア

ルーマニア地図入国した列車の中からすでに散々な目に遭った国だった。天気が悪かったせいもあったが、暗く陰気な雰囲気だったので予定を早めてたった3日間の滞在となった。
「彼らはヨーロピアンじゃない、ルーマニアン…そう、バルカンの人間だ」
私たちを助けてくれたチェコの青年は、そう言った。

旅のルート

ブルガリア→ブラショフ、ブラン城→ハンガリー

ルーマニア入国〜偽(?)乗務員逆ギレ!

2004/8/3
東欧の国際線列車はかなり割高なので、私たちは切符を通しで購入せず、国境の駅まで買い、入国してから車内で目的地までまた購入する方法に出た。まず、バスでブルガリア国境駅ルセまで行った。駅に「タクシー30$でルーマニア側に行く」というオッサンがいたが、どう考えても高すぎるので無視した。
ルーマニア側国境の駅までの切符は購入不可能だった。私たちのような人がいるからだろうか?とりあえずブカレストまでの切符を購入した。構内のキヨスクには、なぜかフルーツ風味のコンドームがお菓子みたいに陳列されていた。

ブカレストに近づくと、殺風景で何の興味も感じさせない建物、街が見えてきた。私たちは最後までブカレストに行こうか行くまいか迷っていたが、完全に降りる気を無くした。このままブラショフまで一気に行く事にした。この選択が失敗で、初日早くもの事件の発端となった。

列車は再び走り出した。すぐに、2人の乗務員が検察にやってきた。私たちは理由を説明し、「ブラショフまでの切符を下さい」と言った。太ったオッサンは「2人で15$払え」と言った。
オッサンが怪しく、運賃も高い気がした。こいつらは本物の乗務員だろうか?
私は「ID見せろ」と言った。するとオッサンはいきなり真っ赤になり大声で逆ギレした。これはビビッた。
オッサン、お前本物の乗務員か?」「ID見せろや」ますますオッサンは怒った。3人で言い争いになり、私たちは仕方なく金を払うことにしたが、オッサンの怒りは静まらず、15$で切符を売る気は無くなったらしかった。
金を受け取らず、私達に次で降りろと怒鳴った。もう一人のオッサンは、時折こちらを見ながらトランシーバーでわざとらしく何か話している。KEN氏によると、このトランシーバーからは何の音も聞こえなかったので、私達を威嚇するために誰かと話すフリをしていただけらしかった。

KEN氏オッサンをなだめている隙に、私は隣のコンパートメントチェコ人4人組に切符をいくらで購入したのか訊いた。彼らは前もって予約をした指定席だった。私は事の流れを説明した。そして彼らに一緒のコンパートメントに座っていいか聞くと、快くOKしてくれた。
チェコグループの一人の青年が、オッサンと掛け合ってくれた。「落ち着いて、タバコでもどうぞ」オッサンは凄い形相で私達にガンを飛ばす。青年はステキな笑顔で続けた。「彼らに切符を売ってくれませんか?」ダメでも、青年はしばらく紳士的な態度でオッサンを説得してくれた。でもオッサンは私達に切符を売ってくれなかった。
そして青年は席に戻ってきて、こう言った。

「彼らはヨーロピアンじゃない、ルーマニアン…そう、バルカンの人間だ」

騒動は、これだけでは無かった。
一旦引き返したオッサンが戻ってきた。「また何なん?オッサン?!」どうやら商売道具を入れた鞄を無くしたらしい。誰もオッサンの鞄なんぞ知らなかった。
しばらくして、KEN氏が私にポーチをよこした。「何これ?私のじゃ無いよ」「え?このコンパートメントに移動する時に座席にあったから、Sさんのやと思って持ってきてん」「…それあのオッサンのじゃないか(笑)?」中身は筆記用具に書類。KEN氏はにんまりして、ポーチを座席の裏に隠した。

ブラショフ〜強烈なマリアおばさん…分った、オバハンが一番や…

夜、ブラショフに到着した。駅構内で、私達目掛けておばさんが近寄ってきた。歩き方にも載っている名物客引きおばさんマリアである。彼女は少しの日本語を知っていた。駅前はいかにも怪しい人がいて、外灯は無く暗い。ここはマリアの宿を見ることにして、街中まで車で連れて行ってもらうことが最善策だった。マリアおばさんはお喋り好きで強烈な個性の持ち主だった。その分旦那は大人しかった。

最初に夫妻の経営する宿に行った。新しくキレイでシャワー付ドミで、客もまあまあいた。私は丸一日の移動とオッサンとのケンカでかなり疲れていた。ビールを飲みながら、リビングでドイツ人カップルと話した。そして部屋をチェックし終えたKEN氏と宿をどうするか相談した。
「この宿どう思う?」宿はドミの割には少し高い気がした。探せば個室でもっと安い部屋はあるだろう。
そしてKEN氏マリアおばさんが気に入らないようだった。「さっき俺おばさんに”あんたみたいな失礼な人初めて”って言われたわ(苦笑)」
おばさんが大声で何度も同じ話をし、ずっと喋り続けるのでKEN氏が「疲れているから、黙ってくれませんか」と言ったらキレられたらしい。確かに、私もマリアおばさんに好感は持てなかった。彼女の口癖は「マリア一番」だった…その自信はどこからくるのだろう。客引きなのに、親切の押し売りというか、”親切にしてあげている”という傲慢な態度を素直に親切と受け取ることはできなかった。
私達がここには泊まらないと言うと、おばさんは知人のプライベートルームを紹介した。迎えに来たのは黒髪のルーマニア美人だった。値段もマリアおばさんの宿より若干安い。$払い可能だった。部屋はアンティーク調でバスルームは新しくキレイだった。

早速荷物を置き、私達は飲みに出た。深夜の旧市街は誰もいなくて静まり返っている。駅前と違って危険な空気は無い。外灯の薄明かりに照らされた石畳に風情を感じた。明るくなって街を見るのが楽しみである。
一軒の雰囲気の良さそうなバーに入った。
壁は赤く、明かりは蝋燭だけ、黒いボックス席が4つくらいで人々がカードゲームに興じたり、語り合ったりしていた。
私好みのゴシック系だ!ここでビールと出前のピザを飲食しながら、今日一日の事を話した。

ブラショフ〜雨のルーマニア

ルーマニア ブラショフ2004/8/4
ルーマニアに入って、天気が悪くなった。空はどんより曇り、時折小雨が降った。気のせいか街の雰囲気も暗く見えた。中心街に行くと、焼きたてのパンのいい匂いが漂ってきた。私達がパンを食いながら歩いていると、ジプシーの子供が群がって来た。顔は垢まみれで、ずっと風呂に入っていない臭いがした。KEN氏はパンを子供に与えた。そして私達は別行動で観光した。街のメインストリートにはたくさんの店が並んでいた。教会などを見学。
KEN氏はこの日トラム不快な目に遭った。乗務員に切符はどこで買えるのか聞くと、車内で買えると言われたので買わずにそのまま乗った。その後検察員に捕まり、罰金を催促された。KEN氏が「乗務員に車内で買えると言われた」と言い返すと鉄道警察に連れて行かれた。そこで検察員がKEN氏を押したので「暴力を振るったので日本大使館に言う」と言ったらビビッて逃がしてくれた。

右:中心広場の市庁舎

KEN氏は、ルーマニアに長居する気が無くなっていた。

ブラン城〜家族連れで賑わうドラキュラ城

2004/8/5
ガイドブックのホテルの方が安かったので、そこに移った。今日も雨。デパートで食料と日用品を仕入れた。歩いてブラン城行きバスのバスターミナルまで行った。ブラン城行きのバスを周りの人に教えてもらった。
城行きのバスは混んでいてほぼ満員だった。KEN氏が先に乗った。切符係りは若い女だった。私が切符を買うときに女は運転手となにやら話し、にやにや笑って運賃を受け取り切符を差し出した。KEN氏の所へ行くと彼ははい、と切符をくれた。私の分も買っておいてくれたのだった。私はすぐに女に「連れが私の分買ったから、余分に買った分返してくれ」と言った。女はバカにした笑いを浮かべ黙って金をよこした。金額を確かめると合っていた。私のミスだが、のうのうと運賃を着服しようした女に腹が立ったアジア系は私達だけ。どうみても2人は仲間に見えるはずだった。

ブラン城は小さなレジャーランドだった。土産物屋やスナックの屋台、映画「スクリーム」や動物怪物の仮装をしたスタッフ、家族連れで賑わっている。棒に巻かれた変わったパンの店があったので、焼き立てを食べた。ふわふわして、外側にかかった砂糖が香ばしい。
学割で施設内に入った。庭にはルーマニアの村が再現してあった。少し坂を登ると、ブラン城があった。とても小さく、城というより館、いや家だった。城内もこじんまりしていた。私は写真を撮ることすら忘れていた。

ハンガリー行き夜行列車まで時間があるので、バーで生ビールを飲みまくった。東欧のビールは本当に美味い。これから物価が高くなるので、今のうちに私達2人はタバコを2カートンずつ仕入れた。
夜駅に行くとやはり怪しい人がうようよしていた。国境までの切符を買い、ルーマニアの金を全部使い切ってホームで夜行列車を待った。懲りない私達はまた切符を刻んで買う作戦に出た。

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