バックパッカー一人旅〜海外旅行記と旅情報

バックパッカー一人旅ポルトガル

ポルトガル共和国

ポルトガル地図半年の旅の本格的なスタートは、ユーラシア大陸最西端、ポルトガル!温暖な気候、物価の安さ、人々の親切さ…快適に旅できる国です。ポルトガルに行った人は、多くはいいとこだったと言っていました。

旅のルート

リスボン→ ポルト→ブラガ→ギマランイス→コインブラ→ナザレ、アルコバサ→エヴォラ→リスボン、シントラ、カスカイス、ロカ岬、トマール→フランス

バックパッカー旅情報ポルトガル
物価は他の西欧諸国より安い。タバコも西欧では安いほうなので、ありがたい。観光施設で学割があるところは少ない。 T/Cの手数料は高い。インフォメーションの従業員にいい印象は無かった…
■物価■
・ポルトガル産タバコ2.15€ ・ハガキ0.25€
・水1.5リットル…コンビニ1.15€、スーパー0.5€
・カフェのコーヒー0.45€〜1.50€
・BARカウンターで瓶ビール1本1€
・スーパーの瓶ビール1本0.33€(カンより瓶が安)
・大きい丸パン0.25€ ・ソーセージの缶詰0.80€
・スーパーの紙パックワイン1リットル0.85€
・シャンプー1.70€
・ピラフ・スープ・コーヒー計4.89€
・ハーフチキン、ライス、生ビール計3.50€
・インターネット30分1€

リスボン〜南欧の日差し

2004/4/10
Parisからユーラシア最南端の国、ポルトガルへ飛んだ。セーターが必要だったパリとは気温が全然違う。日差しが熱いぐらいだ。空港前から、市バスでリスボン中心地、レスタウラドレース広場下車。フォス宮内インフォメーションで宿の斡旋は無し。無愛想なおばさんにあしらわれた。それを見ていた親切な若者が安宿街を教えてくれた。安そうな所を1軒づつ当たる。3軒満室だったのであせってきた。4軒目、ガラガラでまともだったので25€と高かったが妥協。英語は通じなかったが、美人な奥さんは丁寧に説明してくれた。夫婦経営で、近所の老人がロビーで大音量でラジオをかけ、寛いでいた。


ポルトガル【リスボン】まずケーブルカーでサン・ペドロアルカンタラ展望台へ。リスボンが一望できる。向こうに大西洋が見える。

ポルトガル【リスボン、サン・ジョルジェ城】ポルトガル【リスボン、サン・ジョルジェ城】街は靴屋がやたら多い。繁華街を抜け、サン・ジョルジェ城に行った。ここまで来ると、石畳の坂道、干された洗濯物…と、思い描いていたポルトガルの下町風景が見られた。人気は少なく、道路工事現場が多かった。

リスボン〜明るい街。BOCK BEERは美味い!

2004/4/11
リスボンは危険だとガイドに書いてあったが、路地裏でも危険さは微塵も感じない。世界中からの観光客も多く、天気がいいからよけいそう思うのかもしれないが、明るくて安全な街にしか見えない。
でも、ロシオ広場には物乞いやホームレス、何をしているか不明な人も多かった。スーパーの前では犬を連れたパンクファッションの健康な若者2人が紙コップを持って、通行人に慈悲を乞う。顔ができもので腫れ上がった人がいつも同じ場所、ロシオ広場の片隅に毎日座っていた。そういう人たちに危険は感じなかったが、今まで訪れた欧州の都会の、今のそういう人たちより、一昔前の欧州の都会のように感じた。

祝日で観光施設の多くは閉まっていた。中心から少し離れたところにあるインド料理屋に、米を求めて入った。ピラフ・カレースープ・コーヒーを注文。インド人従業員は気さくに話しかけてきた。「日本からきたのかい?」
そうだ、と答えると、「ジャパンの曲をかけるよ」とBGMを変えた。
それは水墨画が似合う、聴き覚えのある中国のBGMだった。。。。

宿近くのBARカウンターと食事席があるレストランで、BOCK BEER1本一気飲み!物価の高いパリでは絶対出来なかった、BARで1€ でビールが飲めることが嬉しかった。

ポルト〜人情の街、世界遺産の港町

4/12
サンタ・アポローニア駅から港町ポルト行きの特急に乗った。社内はキレイで快適、TVもあった。車窓からは南欧らしい風景が広がった。いよいよ、本格的なポルトガル周遊が始まる!

電車はカンパニャン駅に着いた。バスで市街地へ。中心街は都会で、車が多い。インフォメーションでは宿の紹介は無かったので、歩き方掲載のペンサオン、ドゥアス・ナソォンエスに決めた。

荷物を置き、T/C両替の為中心広場のAMEXに行ったが、そこは広場全体工事中であった。市庁舎近くのインフォメーションにAMEXの場所を聞き、そこに行ってもAMEXは無かった。気を取り直して観光開始することにした。

グレゴリス教会へ入る時、初老の男性に声をかけられた。「ジャパンから来たのかい?」男性は教会の職員だと言った。英語が通じたのでAMEXの場所を尋ねた。
「そこより、ここで一番レートのいい銀行を知っている。知人がいるから、そこへ連れて行ってあげよう」と答えた。時間を無駄にはしたくなかったし、見知らぬ人にのことで世話になりたくなかったので断ると、「すぐ近くだ、得するよ!」

旧市街の入り組んだ細い路地はとても雰囲気があり、迷路だった。面白がって歩いているうちに、迷った。道を聞く人もいなかった。ボルサ宮への方向も分からなくなり、地図片手に立ち尽くしていると、一人の鋭い目つきの若者が猛ダッシュで通り過ぎた。一瞬目が合った。ヤバい人なのか?路地の影に消えた若者はすぐにこっちに引き返してくると、ポルトガル語で話しかけてきた。何を言っているのか分からなかったが、”ボルサ宮に行きたいんです”と英語で答えると、彼は”こっちだ”、と手招きした。細い路地を、角を曲がり、階段を降り、案内されて進むと、小さな食堂のおばさんが何か彼に言った。後はこのおばさんが道を教えてくれるらしかった。おばさんは片言の英語で説明してくれて、「私は日本に友達がいるよ、名前はなんとかユウコ、文通しているんだよ!」と嬉しそうに言った。

親切な若者とおばさんのおかげで迷路を脱出し、大通りに出れた。ボルサ宮、サン・フランシスコ教会を見学。し、ドウロ川沿いカイス・ダ・リベイラへ。レストラン、カフェが並び、潮の香りがした。

ポルトガル【世界遺産ポルトの街並み】
ポルトガル【世界遺産ポルトの街並み】
対岸から見た世界遺産ポルトの街並

ドン・ルイス1世橋を渡り、対岸のヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアに行った。対岸から見るポルトの街に、世界遺産だと納得させられた。川沿いのベンチに座って、しばしその街並みに見とれた。

私の隣で、カップルが情熱的に濃厚な口づけを交わしている。フランス人も熱いけど、ポルトガル人もけっこうスゴイ

ポルトガル【世界遺産ポルトの街並み】

宿の近くの食堂で夕食。ハーフチキン、バターライス、ビール1本で3.44€だった。帰って部屋のTVをつけるとハンマープライスをやっていた。私が海外でたまにTVをつけると、なぜかいつもハンマープライスをやっている。灰皿が無いので禁煙かと思いオーナーに聞くと、喫煙可能だが煙が充満すると火災報知器が鳴るらしかった。宿の入り口もオートロックなので、クラシックな外観だが中身はハイテクな宿だと思った。

ブラガ〜予期せぬ災難と悪夢の夜

4/13ガイドブックに【ブラガは祈りの街である】とあった。その名の通り、私はここで本心から神に祈りを捧げることになった。

YHは満室だったので大通りに面した某安ホテルに宿を取った。スタッフは愛想が良く、バス・トイレ別シングル17.5€。ベッドは広くて心地良さそうに見えた。だが!ここで私は眠れぬ夜を過ごすことになったのだ。

宿が決まって安心した直後、今回の旅で一番の災難に遭遇した。レブプリカ広場に面したATMで金をおろそうと、CITIのカードを入れた。…金が出ない。カードも出ない!
メッセージが出て、最初の画面に戻った。カードがATMに飲み込まれた!
まず、CITIにрオてカードを止めなければ!公衆電話からпA待たされてコインはどんどん無くなる。手続きの途中でコインが無くなり切れたので、テレカを買ってかけ直そうとするも、テレカが使えない公衆電話や、長電話の人、壊れた電話機、、、やっとまともな公衆電話を見つけ、無事カード停止完了した。

銀行でT/Cを両替した。窓口のおばさんはT/C両替をしたことがないらしく、他の職員に教わりながらめんどくさそうに処理した。ポルトガルの銀行のT/C両替手数料は高いと聞いていたが、本当に手数料はかなり高かった。だが、CITIのカードを無くした今、T/Cのありがたみ、確実性が身に沁みた。

大通り周辺は賑やかで人通りも多く、整備された新しい街だった。旧大司教館、カテドラル、博物館がある旧市街には教会や宗教具の店も多い。人々は日本人が珍しいようだ。
右:貴族の館

カテドラルでは心から神に祈った。「もう災難に遭いませんように…」。ポルトガルの教会に祭ってある像は、とてもリアルである。蝋人形か、木彫りに塗装してあるのか分からないが、上から私を見下ろすキリストやマリアの目が、自分の心を見透かしているようで、教会に行くたびにドキリとさせられた。


精神的に疲れたので、宿でビールとサンドイッチ、惣菜の夕食。シャワーを浴び、ベッドに入って数分後、悪夢が私を襲った。
体中が痒い!ベッドを飛び出した。悪夢の正体は、ダニであった。寒いのを我慢して、掛け布団の上でバスタオルを掛けて寝てみたが、無駄だった。
時は真夜中。フロントには誰もいなかった。仕方が無いので椅子の上で寝た。なかなか寝付けなかったが、こうしてブラガの夜は更けたのだった。

バックパッカー一人旅のポルトガル旅情報銀行のT/C両替例:400€でコミッション12.5€+TAX0.5€
Port⇔Bragaバス3.60€ Braga⇔Guimaraesバス2.15€

ギマランイス〜老紳士がくれた一輪の花

4/14ギマランイスのバスターミナルは、かなり市街地から離れていた。街自体小さそうなので、ここには泊まらず、荷物を背負ったまま観光することにした。途中、中国人の雑貨屋で日用品を購入。

アルベルト・サンパイオ美術館は、一部工事中だったので無料だった。それでも十分に展示品を見れたので得だった。
ノッサ・セニョーラ・オリベーラ教会広場周辺を見学して、丘の上の城に向かった。坂道を登っていると、反対から一人の老紳士が白い小花の花束を胸いっぱいに抱いて、坂を下ってきた。そして笑顔で私に、一輪の花を差し出した。「Obrigado!」一番最初に覚えたポルトガル語、「ありがとう」。私はその美しい花を、道端のマリア像に捧げた。

丘は緑の芝生に覆われ、城の手前に立つブラガンサ公爵邸は重厚な外観で、内装も豪華だった。サン・ミゲル教会、荷物を背負っても登った。

ギマランイス観光は3時間で終わったので、ポルトへ戻り、同じ宿に宿泊した。

コインブラ〜学生らしい学生を見る

ポルトガル【コインブラ】コインブラは丘の上に大学があり、小さいが見所いっぱいの街だった。バスターミナルからYHまでは2q以上あった。YH周辺は新しい住宅地だった。夕方までYHは閉館。

荷物を置いて、旧大学に行った。階段を登ると、駐車場があって新カテドラルが見えた。旧大学の図書館は入場時間指定で、一度に見学できる人数が制限されていた。大学内を少し見学する。学生達はみんな質素だが身なりがきちっとしていて、賢そうに見えた。いつも思うが、日本の学生に比べると、海外の学生は地味に見える。
礼拝堂、ラテン回廊も見学。街の眺めも素晴らしかった。
階段を下りて国立美術館に行ったが、取り壊そうとしているのか、建物は後ろが無かった。

学生御用達らしき食堂で昼食。5,6席のカウンターだけの細長い店で、学生達が目玉焼きやフライドポテトを食べていた。私はここのトイレで鍵を閉めたら開かず、学生に開けてもらうというアホな事をしでかした。

モンデゴ川を渡り、軍事博物館、新サンタ・クララ教会を見学した。ここも坂道が続き苦しかったが、眺めは最高であった。
川沿いの公園で釣りをするのやカップルの濃厚シーンを見たり、市街を散策して、YHに戻った。

ポルトガルでYHを利用したのは コインブラだけだったが、値段の安さには驚いた。地元の学生の団体が多く、みんな資料を広げてレポートを書いていて、私と笑顔で挨拶を交わし、マナーがあったので、コインブラ大学の影響もあり、ポルトガルの学生にとても好印象を持った。

バックパッカー一人旅のポルトガル旅情報コインブラYH…朝食付DOM4人部屋8.50€。規模は小さく、周辺は住宅地で静か。新しくきれい、清潔。スタッフは親切。Port⇔Coimbraバス6.50€

ナザレ〜シーズンオフの大西洋

ポルトガル【ナザレ、プライベートルーム】4/16
猟師町ナザレに行った。バスがバスターミナルに入ると、Private Roomの看板を持ったおばさんが私を見つけて、一生懸命「Private Room!!!」とアピール。値段を聞くと、おいでおいでと手招きする。客引きおばさんは彼女一人だったので、 とりあえず部屋を見せてもらうことにした。
ターミナルの近くで、1階に魚屋があり、プライベートルームは2階だった。ツインで、バスタブ・トイレ付、清潔で新しい部屋だった。

彼女は「ジャポネー」どーのと言った。過去にジャパンが泊まったことがあるのだろう。値段を聞くと25€だったが、20€に負けてくれた。バスタブがこの宿を決める最大の理由であった。やはりわたしはジャポネーである!バスタブは今では貴重な贅沢品にすらなっていた。
街へ出ると、客引きおばさんたちが私を見つけて「Private!」「Room!」と大声で呼びかけてきた。街中でなく、バスターミナルで客引きすればいいのに、と思った。


ケーブルカーシティオ地区へ登る。両脇には南欧らしい植物が植えられ、海の街らしい。上は風が強く、海は荒れていた。日本人の団体客もいた。ナザレ教会、メモリア礼拝堂を見学し、街を散策した。一列に並んだ白塗りの壁が海に似合う、小さな街だった。

ナザレの年配の女性たちは、皆民族衣装の黒の短いボリュームのあるスカートを履き、エプロンにスリッパ、お婆さんは黒ずくめの人が多い。宿のおばさんも民族衣装を着ていた。とても異国情緒があった。

街の端の港まで浜辺を歩いた。干物や網が干されている。ゴミは殆ど落ちてはいなかった。

宿に戻り、待望のバスタブに浸かった。勿論湯上りにBOCK BEERは欠かせない!

ポルトガル【ナザレ】ポルトガル【ナザレ】

アルコバサ〜悲恋物語を知る

ポルトガル【アルコバサ、サンタ・マリア修道院】2004/4/17
ナザレから日帰りで、アルコバサ世界遺産サンタ・マリア修道院に行った。早く着きすぎたのでカフェでコーヒーの朝食。物価の安いポルトガルでは毎朝カフェで美味いコーヒーが飲めた。

10時になったので修道院へ行く。とても大きい。中へ入ると日本人の団体観光客がいたので、一緒になってガイドから、この修道院に葬られているペドロ1世とイネスの悲しい恋の物語を聞いた。2つの石棺は見事なレリーフが施され、静かに安置されていた。

見学を終え、バスターミナルに戻る途中の駐車場に、オレンジの木が植えてあった。ポルトガルではそこらへんにオレンジの木が生えている。店で売っているのと大きさと色である。試しに食べてみた。そんなに甘くはなかったが、普通に食えた。ビタミンC補給の為、何個か収穫した。小雨がぱらついてきた。土曜日なのでバスの本数が少なく、ターミナルで2時間待った。

ポルトガル【アルコバサ、サンタ・マリア修道院】


ナザレのバスターミナルに戻ると、宿のおばさんが手を振ってきたので挨拶した。今日も看板持って商売である!

午後はSUPER BOCK BEERを買い込み、浜辺で寛いだ。ウミネコたちは全員海の方向を向いていた。時折来る大波に逃げながらも、また戻って海の方向を見ている。泣き声は本当に猫と同じだ。大西洋とウミネコを見ているのは、飽きなかった。

エヴォラ〜世界遺産の街と老シスター

4/18バスターミナルを出ると、立派な城壁に囲まれたエヴォラの街が見えた。日曜なので店は殆ど閉店していて、街は閑散としていた。世界遺産の街なので物価が高め、観光客も多い。空はどんよりとしていて、雨が降っている。

YH潰れていた。ショックであった。インフォメーションの若者スタッフのやる気の無さを見て、自分で宿を探すことにした。
雨の中数件当たるも、満室満室だった。車に足の先っぽを轢かれ、彷徨うのに疲れ果てたのでバス・トイレ付30€のペンションで妥協した。

カテドラル、ディアナ神殿、修道院、サン・フランシスコ教会、人骨堂を見学し、街外れのカルヴァリオ修道院へ行った。ベルを鳴らすと、小柄な老シスターが出てきた。
シスターに案内され、礼拝堂、回廊、キッチン、リビングを見て回った。シスターは現地語で丁寧に説明してくれた。小さい修道院だが、シスターたちの生活する一部を見せてもらい、シスターに案内されたことによって身が清められた気がした。

リスボン〜リスボンの物乞い少女

2004/4/19
再びリスボンに戻った。メトロの自動券売機の前に、物乞いをしている少女がいた。彼女は私に近づくと、手を出して物乞いした。12歳ぐらいだろうか。ぱっと見は普通の子供だったが、近くで見ると髪の毛は埃だらけでツヤが無く、服は薄汚れている。
海外で、子供の物乞いは珍しいことではなかった。
私は無視して財布を取り出した。少女は私に、勝手に切符の買い方を説明し始めた。一瞬、”このガキ、つり銭を盗むんじゃねえ?”と疑った。
それは間違った考えだった。少女は「乗り場がどーの」と言い出し、もう手を差し出さなかった。
私は、(切符の買い方など分かっていたが)バイト代としてチップを渡した。少女は「Obrigada!」と喜んだ。
彼女は、毎日ここでこうして勝手に説明して小銭を稼いでいるのだろうか。

旅で出会う日本人と話題にしたこともあるが、欧州では”どう見ても、お前健康で若いやろ?”とゆう人間が物乞いをしていることがよくある。働きたく無いのか、働く場が無いのか。シチリアで、(欧州では高額な)マルボロを吸って、ジュース飲んで、家族全員でバスに乗って観光地まで通う”出稼ぎ乞食”も見た。

シントラ〜緑の別荘地

ポルトガル【シントラ】4/20電車でシントラに行った。駅前の花壇には早くもラベンダーが咲いていた。緑の中に、古い屋敷や豪華な別荘が点在し、上品な雰囲気を漂わせていた。

最初に王宮、続いてペーナ宮殿へ。
ペーナ宮殿の外観は、個性的すぎたが、内装は王宮よりもかなりゴージャスで、高価な調度品、美術コレクションなど見ごたえがあった。ここからはシントラ一望、大西洋まで見渡せた。


ポルトガル【シントラ】
宮殿からは大西洋が見える

ロカ岬〜ユーラシア最西端に立つ

ユーラシア大陸最西端ロカ岬は、驚くほど一面の花に覆われた、芳しい美しい岬だった。インフォメーションで最西端到達書を購入し、嬉しくなった。風が強く、曇り空だったが、初めて見る大西洋はエメラルドグリーンで、澄んでいた。これが本当のエメラルドグリーンである。

ポルトガル【ユーラシア大陸最西端、ロカ岬】

ポルトガル【ユーラシア大陸最西端到達書】

カスカイス〜オシャレなリゾート地

カスカイスの街中のバス停に降りると、親切なおばさんが上手な英語で、海側に出る地下道を教えてくれた。ポルトガルの人は本当に親切な人が多い。
街は南欧のお洒落なリゾート地で、ブランドショップも多い。地獄の口を見学し、岩場を探検した。

3箇所ともリスボンから日帰りでいける手軽で楽しい観光スポットだった。

トマール〜大修道院の二つの顔

ポルトガル【トマール大修道院】4/21
その日は、朝から雨だった。トマールのキリスト修道院は、小高い山の上にあった。雨の中無人の山道を登ると、門と立派な城壁が見えた。
修道院は巨大だった。雨の音と、自分の足音しか聞こえなかった。厳かで、怖ろしいくらいの静寂。見かけた入場者は老人2人だけだった。
礼拝堂、回廊を進み、奥に行くと長い廊下の両脇に沢山の小部屋がずらっと並ぶ。僧たちが寝泊りしていたのだろうか。迷うぐらい広すぎる。なぜか世界遺産のテーマソングが頭の中で鳴り出した!
その一角には、屋根の無い祭壇があった。

朽ち果てた祭壇に、修道士はその時何を想って祈ったのだろう?
彼らが見上げた天井は、今は空となり
彼らが磨いた床は、今は一面の緑に覆われ
それでも祈りは続く
苔むしたキリストが
十字架が
今、旅人にそれを問いかける

ここは来なかったら一生後悔したな、と思わせる修道院だった。そこは俗世間ではなかった!建造物のすごさ、厳かな雰囲気…ポエムまで書いてしまうくらいの、素晴らしい修道院だった。

別世界にトリップしたまま修道院を出ると、大型観光バスが3台やってきた。子供の団体と、”ファドと郷愁のポルトガル”というプレートを貼った、日本人ツアー客だった。次々に出てくるチビッコたちの騒々しさに、一瞬でそこは”ポルトガルの観光名所”になったのである。

リスボン〜ポルトガル最終日

ポルトガル【リスボン、ジェロニモス修道院】4/21ポルトガル最終日は、南欧らしい青空だった。

ジェロニモス修道院、ベレンの塔を回る。アジュダ宮殿はなぜか入場不可能だった。教会やカテドラル、くちばしの家、、、と市街中心の見所は全て徒歩で回った。右:ジェロニモス修道院
デパートでソムリエナイフ、スプーンなど日用品を調達、ポルトガル産タバコも大量に仕入れた。

最後の夜は、BARでBOCK BEER!


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