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ポルトガル共和国
旅のルートリスボン→ ポルト→ブラガ→ギマランイス→コインブラ→ナザレ、アルコバサ→エヴォラ→リスボン、シントラ、カスカイス、ロカ岬、トマール→フランス
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リスボン〜南欧の日差し2004/4/10
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リスボン〜明るい街。BOCK BEERは美味い!2004/4/11 祝日で観光施設の多くは閉まっていた。中心から少し離れたところにあるインド料理屋に、米を求めて入った。ピラフ・カレースープ・コーヒーを注文。インド人従業員は気さくに話しかけてきた。「日本からきたのかい?」 ポルト〜人情の街、世界遺産の港町4/12 電車はカンパニャン駅に着いた。バスで市街地へ。中心街は都会で、車が多い。インフォメーションでは宿の紹介は無かったので、歩き方掲載のペンサオン、ドゥアス・ナソォンエスに決めた。 グレゴリス教会へ入る時、初老の男性に声をかけられた。「ジャパンから来たのかい?」男性は教会の職員だと言った。英語が通じたのでAMEXの場所を尋ねた。 旧市街の入り組んだ細い路地はとても雰囲気があり、迷路だった。面白がって歩いているうちに、迷った。道を聞く人もいなかった。ボルサ宮への方向も分からなくなり、地図片手に立ち尽くしていると、一人の鋭い目つきの若者が猛ダッシュで通り過ぎた。一瞬目が合った。ヤバい人なのか?路地の影に消えた若者はすぐにこっちに引き返してくると、ポルトガル語で話しかけてきた。何を言っているのか分からなかったが、”ボルサ宮に行きたいんです”と英語で答えると、彼は”こっちだ”、と手招きした。細い路地を、角を曲がり、階段を降り、案内されて進むと、小さな食堂のおばさんが何か彼に言った。後はこのおばさんが道を教えてくれるらしかった。おばさんは片言の英語で説明してくれて、「私は日本に友達がいるよ、名前はなんとかユウコ、文通しているんだよ!」と嬉しそうに言った。 |
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ドン・ルイス1世橋を渡り、対岸のヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアに行った。対岸から見るポルトの街に、世界遺産だと納得させられた。川沿いのベンチに座って、しばしその街並みに見とれた。 私の隣で、カップルが情熱的に濃厚な口づけを交わしている。フランス人も熱いけど、ポルトガル人もけっこうスゴイ。 |
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宿の近くの食堂で夕食。ハーフチキン、バターライス、ビール1本で3.44€だった。帰って部屋のTVをつけるとハンマープライスをやっていた。私が海外でたまにTVをつけると、なぜかいつもハンマープライスをやっている。灰皿が無いので禁煙かと思いオーナーに聞くと、喫煙可能だが煙が充満すると火災報知器が鳴るらしかった。宿の入り口もオートロックなので、クラシックな外観だが中身はハイテクな宿だと思った。 ブラガ〜予期せぬ災難と悪夢の夜4/13ガイドブックに【ブラガは祈りの街である】とあった。その名の通り、私はここで本心から神に祈りを捧げることになった。 YHは満室だったので大通りに面した某安ホテルに宿を取った。スタッフは愛想が良く、バス・トイレ別シングル17.5€。ベッドは広くて心地良さそうに見えた。だが!ここで私は眠れぬ夜を過ごすことになったのだ。 宿が決まって安心した直後、今回の旅で一番の災難に遭遇した。レブプリカ広場に面したATMで金をおろそうと、CITIのカードを入れた。…金が出ない。カードも出ない! 大通り周辺は賑やかで人通りも多く、整備された新しい街だった。旧大司教館、カテドラル、博物館がある旧市街には教会や宗教具の店も多い。人々は日本人が珍しいようだ。 精神的に疲れたので、宿でビールとサンドイッチ、惣菜の夕食。シャワーを浴び、ベッドに入って数分後、悪夢が私を襲った。
ギマランイス〜老紳士がくれた一輪の花4/14ギマランイスのバスターミナルは、かなり市街地から離れていた。街自体小さそうなので、ここには泊まらず、荷物を背負ったまま観光することにした。途中、中国人の雑貨屋で日用品を購入。 コインブラ〜学生らしい学生を見る
学生御用達らしき食堂で昼食。5,6席のカウンターだけの細長い店で、学生達が目玉焼きやフライドポテトを食べていた。私はここのトイレで鍵を閉めたら開かず、学生に開けてもらうというアホな事をしでかした。 モンデゴ川を渡り、軍事博物館、新サンタ・クララ教会を見学した。ここも坂道が続き苦しかったが、眺めは最高であった。
ナザレ〜シーズンオフの大西洋
ケーブルカーでシティオ地区へ登る。両脇には南欧らしい植物が植えられ、海の街らしい。上は風が強く、海は荒れていた。日本人の団体客もいた。ナザレ教会、メモリア礼拝堂を見学し、街を散策した。一列に並んだ白塗りの壁が海に似合う、小さな街だった。 ナザレの年配の女性たちは、皆民族衣装の黒の短いボリュームのあるスカートを履き、エプロンにスリッパ、お婆さんは黒ずくめの人が多い。宿のおばさんも民族衣装を着ていた。とても異国情緒があった。 |
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アルコバサ〜悲恋物語を知る
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エヴォラ〜世界遺産の街と老シスター4/18バスターミナルを出ると、立派な城壁に囲まれたエヴォラの街が見えた。日曜なので店は殆ど閉店していて、街は閑散としていた。世界遺産の街なので物価が高め、観光客も多い。空はどんよりとしていて、雨が降っている。 YHは潰れていた。ショックであった。インフォメーションの若者スタッフのやる気の無さを見て、自分で宿を探すことにした。 雨の中数件当たるも、満室満室だった。車に足の先っぽを轢かれ、彷徨うのに疲れ果てたのでバス・トイレ付30€のペンションで妥協した。 |
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カテドラル、ディアナ神殿、修道院、サン・フランシスコ教会、人骨堂を見学し、街外れのカルヴァリオ修道院へ行った。ベルを鳴らすと、小柄な老シスターが出てきた。 リスボン〜リスボンの物乞い少女
2004/4/19 シントラ〜緑の別荘地
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ロカ岬〜ユーラシア最西端に立つユーラシア大陸最西端ロカ岬は、驚くほど一面の花に覆われた、芳しい美しい岬だった。インフォメーションで最西端到達書を購入し、嬉しくなった。風が強く、曇り空だったが、初めて見る大西洋はエメラルドグリーンで、澄んでいた。これが本当のエメラルドグリーンである。 |
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カスカイス〜オシャレなリゾート地
カスカイスの街中のバス停に降りると、親切なおばさんが上手な英語で、海側に出る地下道を教えてくれた。ポルトガルの人は本当に親切な人が多い。 |
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トマール〜大修道院の二つの顔
朽ち果てた祭壇に、修道士はその時何を想って祈ったのだろう? ここは来なかったら一生後悔したな、と思わせる修道院だった。そこは俗世間ではなかった!建造物のすごさ、厳かな雰囲気…ポエムまで書いてしまうくらいの、素晴らしい修道院だった。 別世界にトリップしたまま修道院を出ると、大型観光バスが3台やってきた。子供の団体と、”ファドと郷愁のポルトガル”というプレートを貼った、日本人ツアー客だった。次々に出てくるチビッコたちの騒々しさに、一瞬でそこは”ポルトガルの観光名所”になったのである。 リスボン〜ポルトガル最終日
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