バックパッカー一人旅〜海外旅行記と旅情報

バックパッカー一人旅のポーランド旅行

ポーランド共和国

ポーランド地図スロバキアから歩いて国境を越え、ポーランド入国。
南はクラクフ、北はグダンスクまで、広い国土を移動した。
ポーランドのことを「いかにも共産圏で、人々の視線が冷たい」と言う人たちもいた。だから私にはポーランドに対してそういう先入観があった。でも、そうとは思えなかった。バスターミナルでは〜私が外国人だからかもしれないが〜聞かなくても乗り場、出発・到着時間をメモに書いて教えてくれる。英語の話せない人は、若者などに通訳を頼んで、その人たちも親切に教えてくれる。店の人は、「ありがとう」と気持ちの良い笑顔。場合によっては釣りを丁寧に数えて渡す。バスの車内では、大概の人は隣に座るとき「ここいいですか?」と聞く。
最大のピンチ、小さな事件。ドキドキのポーランド周遊であった。

旅のルート

スロバキア→ザコパネ→クラクフ、オフィチエンチム、ビルケナウ→ザモシチ→ルブリン→グダンスク→ワルシャワ→グロツワウ→カトヴィツエ→チェコ

ザコパネ→クラクフ〜無事宿に着けるのか…

2004/8/20
スロバキア・リサポラーダから歩いて国境を越え、ポーランドへ。ミニバスはタトラ山脈のふもと、ザコパネに到着した。ここからバスを乗り換えてクラクフに向かう。家族連れや若者で賑わう、明るくて楽しそうなリゾート地の雰囲気だ。バスの切符売り場では親切な人が通訳してくれた。バスの車窓から見える風景はのどかで花が咲き乱れ、ポーランド風の大きな民家が建ち、見飽きない。しかし、途中で雨が降り出し空が暗くなるわ、バスが思ったより遅れるわでが痛くなった。
クラクフ駅前バスターミナルに到着したのは日も暮れかけた夕方だった。真っ暗になる前に到着した事を神に感謝した。クラクフ駅前は観光客でいっぱいだった。思ったより危険な感じはしなかった。情報ノートに記載されていた宿GuestHouseTOPOLOWAへ行く。人の良さそうなおじさんが迎えてくれた。英語は通じなかったが、片言の独語が通じた。日本の学生さんが作った日本人旅行者向けのチラシを見せてくれた。親日家らしくて嬉しくなった。最上階のシングルはロフト付だった。丸一日の移動に疲れ果てたので外出する気力は無くなっていた。スロバキアで仕入れたパンとフォアグラのパテとチーズの夕食。

アウシュヴィッツ、ビルケナウ〜時間が止まった場所

アウシュヴィッツ、ビルケナウ案内書2004/8/21
バスでアウシュヴィッツビルケナウ見学に出かけた。ガイドブックにポーランド人はアウシュヴィッツと呼ばれるのを好ましく思っていない、というような事が書かれていたことを思い出し、私はバスの運転手に「オシフィエンチム」と言った。
私の前に乗った観光客は皆「アウシュヴィッツ」と言っていた。それまで事務的に切符を販売していた年配の運転手のおじさんは、顔を上げて私の顔をじっと見た。気のせいではなかった。その表情で私は感じた。今現在でも、ナチスが作った酷い歴史が人々の心に残っているのだという事を。

バスはアウシュビッツ付近のバス停に到着した。しばらく歩くと、入り口が見えてきた。チケットを買い、フィルム上映時間まで近辺を見学した。フィルムを見て、鉄格子に囲まれた収容所に入った。
その場所の時間の流れは、止まっていたユダヤ人強制収容所オーストリア・マウトハウゼン以来2回目だが、あの時感じた重く苦しい空気と同じだった。そこだけが別世界の様に、時間が止まっていた。日本人観光客も多く、世界中からたくさんの観光客が来ているのに、人の多さが気にならない程、重苦しい空気がそこを支配していた。
展示してある写真、映像。もはや囚人は人としての扱いを受けていず、死体が無機質に置いてあって、その中では「それが当たり前」という世界になっているのが感じられた。そこは本当に地獄、異常な世界だったのだ。
日本の事も展示されていた。第二次世界大戦、原爆、そして敗戦。
銃殺に使用された、「死の壁」には花がたくさんお供えしてある。壁の前でおばさんが号泣していた。
次にビルケナウに向かった。広い敷地に建つたくさんの木造小屋。最近まで使用していたかの様な線路。その行き着く先は、地獄
小屋には収容者が描いた落書きが残り、湿っぽい簡素な3段ベッドが並んでいる。
今は緑の草、野花に覆われたビルケナウ

クラクフ〜美しい街でポーランド料理を

ポーランド【クラクフ・聖マリア教会】
2004/8/22
門をくぐり、旧市街へ入った。日曜日ということもあって、街はたくさんの観光客であふれ返っている。中央広場では、パフォーマンスをする人、ドレスとタキシードを着た子供2人組のバイオリン弾きなどがいてとても賑やかだ。
チャルトリスキ美術館ダ・ヴィンチの「白貂を抱く貴婦人」を見た。以前京都の近代美術館の特別展示でこの名画を見たのだが、人が多くてまともに見れなかった。今回ここでじっくり見ることが出来、嬉しかった。
教会を見学しながら、中央市場へ。ここではいろんな土産物、雑貨の小さい店がずらっと並んでいる。ムートンが安かった。
クラクフは美しい街だ。観光する場所も多い。昼食はポーランド料理を食いにセルフサービスの食堂へ。席は相席だ。ロールキャベツのクリーム煮にポテトの付け合わせを食べる。かなり美味かった。ボリュームもある。
とその周辺を観光して、アイスを食いながら情報ノートで知った中華料理屋へ。そこは私が東欧で良く利用するセルフの中華ブッフェと違い、高級そうな店構えだった。しかし定食〜スープ、メイン、ライス、付け合せ12zl(約380円)という安さだった。そして美味い。ビールを買って宿に帰った。
右:聖マリア教会のステンドグラス

ポーランド クラクフ
青空画廊

ザモシチ〜スロバキア東部っぽい小さな街

2004/8/23
ポーランドは広かった。早朝バスでザモシチへ。8時間もかかって到着は16時だった。インフォメーションで安ペンションを紹介してもらった。部屋はベッドが6つもあったが宿泊者は私1名だった。オーナーの老人は英語が通じなかったが、身振り手振り、数字を紙に書いたりして意思の疎通が取れた時はお互い喜んだ。こういうときが旅で嬉しい事の中の一つでもある。
街は1時間もあれば余裕で観光できた。スロバキア東部レヴォチャに似ている。

ルブリン〜夜行生活1日目

2004/8/24
ルブリン城はガイドブックの写真より小さくてがっかりした。しかし中の教会のフレスコ画は素晴らしかった。説明を読んで壁画を丹念に見ると、それぞれの絵が意味する事、位置関係などが分かった。博物館は工事で見学できなかった。
街の真ん中に遺跡があった。そこからの眺めは良かった。下の崖を降りると、野生のプルーンの木を見つけたので収穫した。
インターネットカフェを見つけたので、勝手に日本語をインストールしてメールチェックをした。
ポーランドソフトクリームはあっさりして美味い。甘すぎない。街をぶらついて、バスターミナル付近のスーパーで買い出し、ブッフェでケバブとフレンチフライ、サラダの夕食。インフォメーションはつぶれていて2時間宿を求めて荷物を背負ったまま街をうろついたが安宿は見つからなかった。

今夜は夜行バスで一気に北のグダンスクへ向かう。他の旅行者同様、夜行バス・列車は宿代削減として良く使う手段だ。ポーランドの広い国土はまさに夜行生活にうってつけであった。

グダンスク〜夜行生活2日目。小さな事件と最大のピンチ到来

2004/8/25
朝4時45分。グダンスクのバスターミナル到着。外は当然真っ暗だ。バスターミナルの待合室も閉まっている。同じバスからポーランド人の旅行者らしき若い男女3人組が降りて、私同様ベンチで夜が明けるのを待っていたので助かった。
5時半頃から明るくなって、人々が出て来たので街に向かった。途中の屋台で焼きたてのパンを買い食いしながら朝靄の中を歩いた。
グダンスク美しい街だ。朝早いので誰もいない。教会の鐘が鳴り響き、広場ではカフェの開店準備が始まった。
囚人の塔工事中で残念だった。運河沿いで休憩した。街の風景を見ながら、教会を見学して、製粉所付近のカフェでポーランド料理の朝食〜ソーセージとキャベツの煮込みと丸パンを食う。運河の横に建つ製粉所には大きな水車があり、キレイに手入れされた公園もあって雰囲気が良かった。

ポーランド【グダンスク】街の教会を一通り見学し、街中心に戻り市庁舎考古学博物館海洋博物館を見学。

ポーランドの人はソフトクリーム好きなのだろうか、ここでもどこでもソフトクリームを持っている人が多い。広場に2軒のソフト屋が並んでいた。1つは5,6人が常に並んでいる。もう一方はたまに1,2人が買う程度だ。私は列を作る事が出来ない人間である。食事時に並ぶくらいなら、食べない方がマシなのだ。
しかし!今回は違った。繁盛しているソフトクリーム屋のソフトは高さ15cmがトグロを巻く特大サイズであった。しかも3.5zl(約\100)バニラとチョコ、ミックスもある。それはかなり美味そうで、大人も子供も皆、満面の笑みでペロペロ舐めている。
迷わず列に並んだ。しばらくはでかいソフトを食うのに一生懸命、満足満足

そして、街外れの古い教会でアートのイベントを見学し、フラフラ歩くとコンテナを改造した屋台を発見した。

そこで事件は起こった。

大柄なおばちゃんが笑顔で手招きした。いい人そうな笑顔だった。メニューはポーランド語だったので分からなかったが、おばちゃんが指を指して「これがオススメだよ!」と言うヤツを注文した。コンテナが厨房で、横のテント下に丸太の机と椅子が並び、手作りの貝殻や漁師網で作られた飾り、植木鉢が並ぶ可愛らしい店だ。出てきたものはポーランド風ポテト入りお好み焼きだった。素朴な美味しさだった。そしてコンテナのレジで飲食代を支払った。会計したのはオーナーらしき大きいおばちゃんではなく、パートっぽいおばさんだった。愛想良く、ポーランド語でありがとう!と言った。

土産屋などをうろつき、漢字の看板のカフェに入った。そこには世界中の紅茶や中国茶、日本茶があった。マスターは美形のポーランド青年だった。ダージリンを注文して、席に座って現在の小銭がいくら残っているか確認した。

そして、さっきのコンテナ屋台での釣りが2zl(約\60)少ないことに気が付いた。ショックだった。たかが60円をボルだろうか?いくら物価が安い東欧で、60円で何が買える?あの素朴な笑顔のおばさんが?よーく思い出してみる。確かに、2zl足りない。決定的だった。

すぐに荷物をカフェに預けて、コンテナ屋台に走った。ボッたくりか、単なるおばさんのミスかは分からない。でも、60円分の釣りは返してもらわなければいけない。旅で、出来るだけ嫌な思い出は作りたくなかった。
オーナーのおばちゃんと問題のおばさんはいなくて、若い美人が一人いた。私は事情を説明した。彼女は英語があまり分からなかったが、私の説明を熱心に聞いてくれて、理解すると彼女は悪くないのに丁寧に謝って、釣りを返してくれた。

私の気分も晴れて、カフェに戻って日記を書いたり予定を立てていると暗くなってきたのでバスターミナルへ行った。

グダンスク・バスターミナル〜ポーランド最大のピンチ!!!

バスターミナルで時刻表を見ていると、横からポーランド語で話し掛けられた。「え?」とその方向を見ると、小柄な女の子だった。彼女は私の顔を見ると、英語で言い直した。「××行きのバス乗り場は何番ですか?」教えると、爽やかな笑顔で「ありがとう!今日眼鏡を忘れちゃったの」と言った。

10時15分発最終夜行バスでワルシャワに行く予定だった。切符の前売りは無く、バスの運転手から直接購入してくれと言われた。バナナを食いながらターミナルで待っていた。
すると少しラリった感じの青年が「××zlでmy homeに泊まりませんか?」と言ってきた。彼の目の焦点は定まっていなかった。完全にヤバい人だった。当然「No!」とはっきり断ったが、しつこく聞いてきたので、警備員室近くに場所を移動した。だんだん人が少なくなって、ターミナルも閉まり、バスを待っているのは私一人になった。不安である

21時50分過ぎ。バスがやって来た。ここで少し休憩なのか、乗客が降りてきてタバコを吸ったりしていた。そして、バスは満席だった…
このバスに乗れなかったら今夜ここで野宿である。必死で英語の通じない運ちゃんに「床でいいから乗せてくれ!頼む!」両手を合わせて拝んだ。運ちゃんは困った顔で腕組みしている。私が土下座をしようとしたとき、女神が現れた。
乗客のモデル系美人が、英語で通訳してくれたのである。彼女の親切に心から感謝した。美しい人は心も美しいのだ!私は床に座ってバスに乗れることになった。切符は無く、40zlの正規運賃で、その金は運ちゃんの小遣いとなった。さすがにこのときは「Student!」とは言えなかった…2夜連続の夜行生活

一番前の座席横の通路に置いたポリタンクの上にタオルを敷いたものが、私の立派な座席だった。運ちゃんは私にコーヒーや飴をくれたり、変わりばんこに運転交代の人用の補助席に座らせてくれた。

ワルシャワ〜ショパンの家、MUSEUM。ショパン一色の一日

2004/8/26
朝4時45分。まだ真っ暗、ワルシャワ到着。バスターミナルの待合室はまだ開いていない。同じバスの人たちがいたので安心した。待合所が開いて、明るくなるまで待った。緊張しつつ、トラムで中心部へ。念のためメールで予約してあったOkiDkiHostelへ。場所は分かりやすくスタッフも親切でオシャレでキレイだ。
さすがの私も、2夜連続夜行生活でフラフラだった。鏡に映った汚い顔は、まともに寝ていないのでやつれて頬がこけていた。しんどいのを我慢して、外に出た。マクドで朝食。ボケているので間違えてHappyMealを注文してしまい、ディズニーのマーメイドのポーチをもらってしまった。

ポーランド【ショパンの生家】ポーランド【ショパンの生家】そしてワルシャワのメイン、ショパンの生家を目指してバスターミナルへ行った。ここに行きたいからワルシャワに来たと言っても過言ではない。バス乗り場で待っていると親切なマダムが「ショパンはこのバスよ」と教えてくれた。同じバスに日本人男性がいて、彼と一緒にショパンの生家に向かった。
緑に囲まれた、上品な小さな邸宅だった。ショパンが使用していた楽器、家具、家族の写真などが展示されていた。庭ではショパンの曲が流れ、それを聞きながら美しい花の中散策し、雰囲気に浸った。
帰りのバスを待つ間に、梨とプラムを収穫した。

ポーランド【ショパンの生家】
入場券の写真
ポーランド【ワルシャワ・ショパン博物館】
入場券より。博物館の外観
ポーランド【ショパンの生家】
緑に囲まれた庭。奥に見えるのが家
ポーランド【ワルシャワ・ショパン博物館】
貴重な楽譜、写真が展示

次はワルシャワ市内のショパン博物館へ。ここは、来るべき場所だと思った。ノクターンNO9の2、ワルツの原本には感動した。もう、ポーランドに思い残すことは無かった。

ワルシャワ〜灰色に近い街

ポーランド【ワルシャワ・文化科学宮殿】旧市街へ。これといって特徴も無く、普通のヨーロッパの街並みだった。ショパンで満足したので教会以外、どこも入場しなかった。旧市街に向かう途中どこからか、ピアノ演奏が聴こえてきた。一服しながらしばし聴き入った。
ワルシャワ。何も危険は感じなかった。スリ、ひったくりの気配も無い。地下道も普通だった。偽警官も、本当におるんかい?ってぐらい。日本人観光客も多い。
市民はどうだろう?今のところはOKだった。
右:文化科学宮殿。存在感ありすぎ

夕方、宿近くのケバブ屋に行った。行列だったが、安くてボリュームがあったので並んだ。カウンター係り、レジ係り、厨房にも数人働いていた。レジで先にオーダーして金を払ってカウンターで受け取るシステムだった。私の番が近づいた。レジ係りは私を無視して、後ろのおばさんに話しかけた。それは完全な無視だった。ムカついたので、正面に立ってレジ係りの男を睨んだ。にもかかわらず、男は故意に私を無視した。目も合わせなかった。いい歳をした大人の男だ。私の後に並んでいる他の客は、私に目もくれず次々に注文した。
ここで食い物を買うことが不可能だとよーく分かったので、スーパーでビールとパンと惣菜を買って宿に帰った。

グロツワウ〜丸1日の移動で道に迷う

2004/8/27
グロツワウに到着したのは、夕方だった。またしても歩き方の地図は間違いだらけであった。苦労してHostelを探す。親切なおじさんが「どうしたんだい?」と話し掛けてくれた。嬉しかった。ワルシャワで手に入れたHostelのチラシを見せて、方角を教えてもらった。そこはバスターミナルからかなり遠かった。途中で何人かに道を尋ねたが、皆親切に教えてくれた。そのチラシがなかったら、絶体絶命であった。橋を渡り、観光しながら歩く。こーゆー、日が暮れて宿探しにあせっている限ってネオナチの落書きみたいなもんを見てしまうのだ!Hostelは学校の寮を利用した夏季限定の宿だった。到着したときにはすでに日は暮れていた。宿はガラガラで、3人部屋を一人で使用できた。腹が減ったので閉店間際の商店に駆け込み、ビールとクラッカー、ニシンの缶詰とパンを購入。

カドイツェ〜国際列車は異常に高い

2004/8/28
バスでカドイツェへ。ここからチェコに向かう。バスは無かった。仕方が無いので、割高な国際列車ECで行くことにした。バスターミナルからまでの道が分からなかった。しばらく道に迷って混乱した。そして、ブルガリア高級ホテル・ノボテルの人に親切にされたこと、「道に迷ったら高級ホテルの人に聞いたらいいよ」KEN氏のアドバイスを思い出した。
大きな茶色のカジノもある共産センスの立派なホテルのフロントの人に尋ねた。すると、チェックアウト中の紳士2人が駅に行くので、連れて行ってくれることになった。駅までは広場を通った。たくさんの店が並ぶ、新しくて都会な街だった。
運賃は65zl(約\2080)もした。国際線で稼いでいる。残りのポーランドの金でタバコとコーラを買った。
列車に乗った。特急はポルトガル以来だ。さすがにEC、車内はとてもキレイだ。

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