バックパッカー一人旅〜海外旅行記と旅情報

ヨルダン【ペトラ】

ヨルダン

ヨルダン地図意外に交通・生活に便利で都会、英語表示が多く、街はキレイで道路が整備されていた。国民はうるさかったが親切、気さくでもてなし好きだった。
アンマン・クリフホテルの情報ノートで、簡単にイラクに「ツアーで旅行」に行けることが分かった。実際にツアー参加した人達の感想や記録も読んだ。TVでしか知らない戦争、そこに「旅行」に行く人達がいる事実を知った。
クリフホテルのスタッフ・美しい心の持ち主サーマル君、レバノン・シリア前半寝食を共にした旅仲間、花さん&中澤君にはすごくお世話になり、感謝している。 ヨルダンの良き思い出は、ペトラ、死海と旅仲間、サーマル君である。

旅のルート

エジプト・ヌエバア→アカバ→ペトラ→アンマン・死海・ジェラシュ→シリア・ダマスカス

エジプト・ヌエバア→ヨルダン・アカバ湾〜ヨルダン入国

2004/6/26
朝。美しい海を見ながらカフェでゆっくり朝食を採った。エジプトでの最後の晩餐だった。10LE=\200で豪華で口に合うイングリッシュ・ブレックファーストを食えるのは本当にこれが最後となった。
宿のスタッフに礼を言い、バスターミナルまでのタクシー運賃を教えてもらった。フロントを出るとヤッサンがいた。前日、イラク韓国人殺害事件があったので、私たちはそれが気になっていた。
「誰かと一緒に行った方が絶対いいですよ。アンマンのクリフ(ホテル)なら日本人絶対いますよ」
「そうやなあ、やっぱ誰かとおった方が安全やもんな」
握手をして、気をつけて下さい、と彼は手を振って見送ってくれた。メインストリートでは今日も朝からカフェの客引きが頑張っている。アカバの海と別れるのは名残惜しかったが、私は前に進まねばならなかった。
乗合タクシーに乗り込んだ。同乗者は白人男性1人。バスターミナルに着き、黙って適正価格5LEを支払った。白人男性は10LE払って、運ちゃんに何か言われて更に金を出していた。 エジプシャンな光景だった。

エアコンバスに乗り、ヌエバア港に着いた。情報ノートのメモを頼りにフェリーのチケット売り場を探した。売り場は新しい建物だった。高速船よりフェリーの方が安いので、フェリーで行こうとした。
「今日はフェリーは出てない、高速ボートしか無いよ」
高速ボートは46$と高額だったが、仕方が無かった。
出国審査は簡単だった。余ったエジプシャンバウンドでジュースを買い、待合室に行った。
アナウンスとかも絶対無さそうなので、船乗り場に行く出口付近に座った。ハエがウザい。3時間は待った。
やっと係員に呼ばれて、船着場行きのバスに乗った。
高速船は豪華だった。乗るときに、パスポートを預けねばならなかった。船内売店でヨルダンディナールに少し両替した。

ヨルダン入国。入国審査前にパスポートを返却。荷物の中身チェックを終え、外に出た。
親切な人がアカバ行きバスを教えてくれた。車内は黒カーテンが架かり、濃い装飾品・ポスター・お守りで飾られ、アラビックポップスのBGM、勿論喫煙可能だった。ヨルダンの最初の印象は、道路は整備されてキレイ、だと思った。車も新しく、街並みも都会だ。
バスターミナルに着くと、客引きらしいのが寄ってきた。
「アカバには泊まらない、今からペトラに行くから」
オッサンは、「今日はもうペトラ行きのバスは無い」と言った。それはやはりだった。
他の人達がペトラ行きのミニバスを教えてくれた。
郊外に出ると、中東っぽい風景になった。岩山、丈の短い草木、それが延々と続いた。
ペトラに到着したのは午後8時だった。すでに真っ暗だったので、バスと提携しているホテルに決めた。

ペトラ〜薔薇色の古代都市

ヨルダン【ペトラ、エル・ハズネ】2005/6/27
世界遺産ペトラ遺跡見学。入り口から続く古代住居跡。更に歩くと、美しい色の岩に挟まれた通路がある。これは本当に敵が簡単に侵入できないやろうな、と実感。前と後ろを塞がれたら逃げられない。上から攻撃されたら終わりだろう。自然の防御壁である。水道跡が道沿いにあり、くねくね曲がって、谷を抜けると、エル・ハズネが突如現れた。
右:エル・ハズネ

ペトラは砂岩で、色ガラスを割ったように鮮やかな色が付いている。自然が造ったア−トだ。

下 :木目のようなペトラの岩ヨルダン【ペトラ】

ヨルダン【ペトラ、犠牲祭壇】
犠牲祭壇。絶景
ヨルダン【ペトラ猫】
ペトラ猫。ずっと付いて来た


ロバ・馬乗りが観光客に声をかける。売店・レストランは当然高かった。暑さと少し体調が悪く疲労困憊だったが、広大なペトラ遺跡を歩き回るのは非常に楽しかった。一つ一つ遺跡を制覇し、美しい岩に感動し、閉園ぎりぎりまで素晴らしい風景に見とれた。
博物館に行く道沿いに遺跡の係員の宿舎らしい洞窟住居があり、前に椅子があったので座って休憩していたら、そこの人が甘いシャーイを持って来た。次に博物館見学後、岩に座って景色を眺めていたらそこの人もシャーイを何杯もご馳走してくれた。私は甘い物は苦手なのだが、暑い国での熱い激甘シャーイはなぜか美味く、疲労回復する気がした。
ヨルダンからトルコまで、こういう風にシャーイや食事、タバコのもてなしを受けることは日常茶飯事だった。イスラムの教えで、旅行者に親切にすると自分に福が来る、というような事をエジプトで誰かから聞いた。アラブの人達はもてなし好きで、親日家が多かった。

ヨルダン【ペトラ、エド・デイル】
エド・デイル
ヨルダン【ペトラのトカゲ】
トカゲ
ヨルダン【ペトラ】
丘の上から見た遺跡

白い岩
ヨルダン【ペトラ】
岩とは思えない
ヨルダン【ペトラ】
住居跡の穴がたくさん

一日でペトラ遺跡を全て見学した。ここは本当に一生に一回は絶対見ておく場所やな、と思った。

ホテル周辺には、食堂が無かった。隣の建物の中にがあり、地元の人達が水を汲みに来ていた。キレイな湧き水で、みんなに飲めると言われたが念のため飲むのはやめておいた。その他には道を隔てて小さな土産物屋があり、飲料や菓子、パンを売っていた。店長は店前でペトラの砂を瓶に詰めて模様や絵を描いた土産を作っていた。昨夜はそこでミント茶とサンドイッチをご馳走してもらいながら、創作を見学した。
ホテル代はドミ3JDと安かったが、その分ホテル内のレストランは4JDと高かった。部屋は普通だった。金も下ろさねばならなかったので、街まで行くことにした。ホテルの人はまで20分と言ったが、片道1時間はかかった。街に着いた時には陽が沈んでいた。街は私のホテル周辺とは違って、たくさんの店や食堂があって人が多く都会だった。ファラフェルサンドとチキンサンドを購入し、金を下ろした。ポルトガルATM飲み込まれ事件以来、CITIカードを使うのは毎回緊張した。

また1時間かけて夜道を歩いて戻った。帰りは坂道で、下に見える岩山に囲まれた街の明かりを今も覚えている。ホテルのテラスで夕食。アラブコーヒーを貰った。食事後、前の売店で同じホテルの日本人青年と砂細工見学後、就寝。

首都アンマン〜旅仲間とクリフホテルのサーマル君

2004/6/28
ペトラのこのホテルはミニバスと提携しているので、バスターミナルまで行く必要は無かった。バスが来るまで時間があるので、ホテルの周りを散策した。プラムの木を見つけたので、実を収穫した。ホテルのオーナーに、アンマンクリフホテルに宿泊予定だ、と言うと名刺の束を渡され、オーナーに渡してくれと頼まれた。

アンマン行きのバスで熟睡した。バスターミナルに着いても、しばらくは寝ていたようだった。目を覚ますと乗客は誰もおらず、運転手が困った顔をしていた。私が起きるまで待っていたようだった。
バスターミナルは中心地から離れていた。タクシー乗り場に並び、自分の番が来たが乗車拒否された。荷物が大きいからか、言葉が通じないからか、理由は謎である。地図を見ると、大通りを歩けば3キロくらいで中心に着くように見えた。私は歩き出した。アンマンは都会だ。交通量も多く、道路だらけで信号、横断歩道もあった。
ガイドブックのアンマン市内地図はかなりおおざっぱなので、30分後道に迷った。結局タクシーを捕まえなければならなかった。
タクシーは乗り合いだった。後部座席に女性、助手席に小学生低学年に見える子供がいた。この子供は運転手の息子だとばかり思っていたら、立派なお客様だった。女性が料金を支払い、釣りを貰った。私も金を出した。多分運賃は0.5JDだろう。運転手が私に釣りをくれないので、「釣りをください」と言った。運転手が黙っているので肩を掴んで揺さぶり、ゆっくりと大声で言った。「なんで私には、釣りをくれないんですか?」
女性が小さく笑った。運転手は釣りを出した。やはり運賃は0.5JDだった。
タクシーは何やら理由をつけてホテル付近まで行かなかったので、歩かねばならなかった。うろうろしていると誰かが英語で話しかけてきた。その親切な人にクリフ・ホテルまでの道を教えてもらい、ようやくホテルに到着できた。

チェックインし、ファーストフードでチキンとポテト、コーラというジャンクフードを食った。モスクに行ったが、中に入らなかった。次に行ったローマ劇場は、入場しなくても外から見れた。そこの露天では、イラクのフセイン紙幣を売っていた。後にヨルダンでフセイン紙幣を購入しなかった事が悔やまれた。劇場遺跡の前で一服していると、石鹸売りの少女が隣に座った。珍しそうに日本語ガイドブックを見て喜んでいる。人形みたいに可愛い子供だった。エジプト、中東の女性は美人が多いと思った。宗教上、トルコ以外ではほとんど女性と会話する機会は無かったが、皆エキゾチックで、神秘的な魅力を持っていた。

市内散策を終えホテルに戻り、情報ノートで死海の行き方を調べた。死海までは公共のセルビスバスは無く、タクシーをチャーターするか、ヒッチハイクで行くしか無かった。タクシーチャーターは無理なので、ヒッチハイクするしか手段は無い。一人でヒッチハイクは危険なので、宿で仲間を探す事にした。ちょうど皆がロビーに集まって来た。しかし、全員すでに死海に行っていた。

スタッフのサーマル君に「一人でヒッチは危険やから、死海に一緒に行く人を探してるんや」と言うと、「僕が皆に聞いてあげるよ」と言った。そして「キミの力になりたいんです」と笑った。それは彼の純粋な笑顔に、疑心暗鬼にうるさくなった私の心を癒された瞬間だった。私は今でもサーマル君の笑顔と、真心が忘れられない。彼は真面目で誠実で働き者で人気者だった。「天使のような人」、とクリフの情報ノートには口を揃えて皆そう書いてあった。本当にそうだった。こんな人がこの世の中にいたんやね、と、感動した。皆がサーマル君の幸せと健康を心から願っていた。

サーマル君のおかげで、死海に行く仲間が見つかった。花さんと中澤君の二人だ。二人とも私同様、仕事を辞めた長期旅行者だ。ちょうど今日、イスラエルから戻ってきたのだった。これがきっかけで、1週間の旅仲間になった。サーマル君にお礼を述べ、三人で明日の予定を立てた。

死海と天然温泉〜本当に浮いた!傷に染みたらかなり痛てー!

ヨルダン【死海】2004/6/29
タクシーでバスターミナルまで行き、途中までバスに乗った。ここからヒッチで死海を目指す。
簡単に車は捕まった。その人は死海沿岸の海水浴場施設まで行ってくれた。そこから私たちは再びヒッチで、無料の浴場まで行った。
死海は遠くから見ると、普通の湖だった。崖で滑って擦り剥いた。対岸にイスラエルが見える。沿岸に行くと岩に白く塩の結晶が出来ていた。交代で一人は岸で荷物を見張ることにした。
最初、塩水が傷口に染みた。しかしだんだん傷が麻痺して痛くなくなった。水はどろどろで、何かの液体のよう。そして、遂に私は浮いた!!

本当に不思議体験だった。潮の流れがあり、寒流は気持ち悪いくらい冷たい。当然だが、水と石だけで生き物はいなかった。

死海で遊んだ後に、上の山の天然温泉に行った。地元のよくわからんオッサン達に案内され、川に沿って奥へ進むと小さい滝壺があった。温度はぬるい。滝つぼ横に洞窟があり、その中が源泉らしい。私には洞窟の温水は熱すぎたが、花さんは平気で浸かっていた。

ヨルダン【死海浮遊体験】

帰りもまたヒッチをした。オッサン2人組を捕まえた。途中野原で休憩し、パンとヨーグルトとハムとピクルス、コーラをご馳走になった。オッサンはTOYOTAの車が自慢のようだった。しっかし、どこにいってもゴミが散乱している国である。野原というより、ゴミの畑だ。
「なんでここはどこでもゴミだらけなんやろ?」
「きっとこの国では、ゴミ箱にゴミを捨てるという習慣が無いんじゃない」花さんが答えた。
休憩が終わるとオッサン達は普通にゴミを捨てた。
ガソリンスタンドでオッサン達と別れ、私たちは次の車をヒッチし始めた。スタンドの人が、これからアンマンに行くので乗せてくれることになった。彼は私たちを事務所に招いて、ジュースを奢ってくれた。そこのトイレは外にあったのだが、今まで見た中で一番ハエが黒々とたかっていた。
彼の車は新車だった。クーラーが効いて快適で、マルボロまでくれた。久々のマルボロはとても美味かった。

宿に戻ると、サーマル君に酒屋に案内してもらった。酒は人前で飲めないし、飲み屋も無いが、普通に手に入った。皆で夕食を食べ、ビールを飲んだ。花さんたちもダハブに滞在し、ダイビングを楽しんだと言う。その時ベドウィンのアクセサリー作りを教わったそうで、私にも作り方を教えてくれた。材料は木綿糸で、作り方にはコツがあった。中澤君が、オレンジと白のクマノミをイメージして作ったと言うので、私は紅海で見た青いエイを腕輪第一号とした。この腕輪は旅の終わりまで、ずっと付けていた。色あせて、ほつれて来たが今も旅の時には欠かせない大切なお守りとなった。

ジェラシュ遺跡〜お年寄りの元気に驚く・若者の悩み相談

2004/6/30
アンマンからバスで、ジェラシュ遺跡日帰り観光に出かけた。チケットを購入し、入り口に向かうと日本語が聞こえた。その方向を見ると、日本人男性ガイドに引率されていたのは全員日本の老人の団体だった。8人くらいで、皆60歳は絶対過ぎている。70歳以上に見える人もいた。皆すごく元気で、若々しく見えた。
遺跡は広大で、強い日差しで頭痛がした。ローマ系の美しい装飾が施された柱が続く。古代劇場で鼓笛隊が練習をしていた。そこでアラビックコーヒーのもてなしを受けた。
遺跡の影で休憩しながら、さっきのお年寄りの元気さを思い出していた。

夜、先にここで滞在している日本人青年と話した。彼は大学卒業後に旅に出て、アジアから1年半旅しているのだった。
「就職したら、長期の旅は出来ないじゃないですか。今しかできないことだし。1年で帰国予定が、延びちゃって(笑)」
今風のロン毛の金髪。自分も金髪やけど・・・
「自分を変えてみたくて、髪も染めてみたり」その表情はまだあどけない。
「妹が今年就職だから、僕もそろそろ帰ってちゃんと就職しなきゃって思ってるんです」
彼は、年頃の若者らしい面白い質問をした。
女の人と部屋をシェアした場合って、やっぱ男の方から誘わなければいけないんですか?」
「何それ?何かあった?」
「うん。前に、女の子と知り合って部屋をシェアしたんですが、僕が何もしなかったんで、次の日そのコ怒ったんです」
おいおい、先走るのかい?!
「部屋をシェアするって事は、誘われたいから、そーゆう事期待してんのかと思って・・・だから僕は誘うべきなのかなって・・・悩んだんですよ。何回もそうゆうことあったんですよ」
外見はノリが良さそうで同年代の女の子にモテそうだ。しかし話してみると素朴で純粋そうだった。彼は真剣に悩んでいた。答えた。
「皆が皆、そうでは無いよ。ソレを期待する女の子なら自分から誘うと思うし、そーゆう素振り見せる(笑)ただ単なる宿代浮かす為にシェアする女も、おるよ」
「なるほど〜そうですね!」
「口説きたかったら、口説けばいい(笑)」
「そうですねあはは(笑)」夜中の3時までいろんな事を語り合った。若者と話すのは楽しかった。彼は私と逆方向で、これからペトラに行くそうだ。

イラクに行く人達〜ヨルダン最後の夜

宿に戻る途中、菓子屋でアラビック・スイーツを買った。どれも糖蜜に浸され、甘そうだ。店員のオススメを2つ購入した。
宿のロビーで菓子を食いながら、情報ノートで情報収集した。イラクに行った人達の書き込みが幾つかある。アンマンから、5泊6日$500でツアーがあり、タクシーチャーターも可能とのことだった。イラクに行った人達の感想、「私が今イラクに行った理由」「イラクで何を見、感じたか」と、人それぞれの価値観でたくさん書き込みがあった。
私は思った。「無事帰ってこれたから、今こういうことが言えるんじゃねえ?」と。それだけしか思えなかった。
アスワン・マルワホテルの息子の言葉を思い出した。

「日本人は、危険な場所が好きだから(笑)」

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