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ヨルダン
旅のルート |
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エジプト・ヌエバア→ヨルダン・アカバ湾〜ヨルダン入国2004/6/26 エアコンバスに乗り、ヌエバア港に着いた。情報ノートのメモを頼りにフェリーのチケット売り場を探した。売り場は新しい建物だった。高速船よりフェリーの方が安いので、フェリーで行こうとした。
ヨルダン入国。入国審査前にパスポートを返却。荷物の中身チェックを終え、外に出た。 ペトラ〜薔薇色の古代都市
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一日でペトラ遺跡を全て見学した。ここは本当に一生に一回は絶対見ておく場所やな、と思った。 首都アンマン〜旅仲間とクリフホテルのサーマル君2004/6/28 チェックインし、ファーストフードでチキンとポテト、コーラというジャンクフードを食った。モスクに行ったが、中に入らなかった。次に行ったローマ劇場は、入場しなくても外から見れた。そこの露天では、イラクのフセイン紙幣を売っていた。後にヨルダンでフセイン紙幣を購入しなかった事が悔やまれた。劇場遺跡の前で一服していると、石鹸売りの少女が隣に座った。珍しそうに日本語ガイドブックを見て喜んでいる。人形みたいに可愛い子供だった。エジプト、中東の女性は美人が多いと思った。宗教上、トルコ以外ではほとんど女性と会話する機会は無かったが、皆エキゾチックで、神秘的な魅力を持っていた。 市内散策を終えホテルに戻り、情報ノートで死海の行き方を調べた。死海までは公共のセルビスやバスは無く、タクシーをチャーターするか、ヒッチハイクで行くしか無かった。タクシーチャーターは無理なので、ヒッチハイクするしか手段は無い。一人でヒッチハイクは危険なので、宿で仲間を探す事にした。ちょうど皆がロビーに集まって来た。しかし、全員すでに死海に行っていた。 スタッフのサーマル君に「一人でヒッチは危険やから、死海に一緒に行く人を探してるんや」と言うと、「僕が皆に聞いてあげるよ」と言った。そして「キミの力になりたいんです」と笑った。それは彼の純粋な笑顔に、疑心暗鬼で金にうるさくなった私の心を癒された瞬間だった。私は今でもサーマル君の笑顔と、真心が忘れられない。彼は真面目で誠実で働き者で人気者だった。「天使のような人」、とクリフの情報ノートには口を揃えて皆そう書いてあった。本当にそうだった。こんな人がこの世の中にいたんやね、と、感動した。皆がサーマル君の幸せと健康を心から願っていた。 死海と天然温泉〜本当に浮いた!傷に染みたらかなり痛てー!
本当に不思議体験だった。潮の流れがあり、寒流は気持ち悪いくらい冷たい。当然だが、水と石だけで生き物はいなかった。 |
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帰りもまたヒッチをした。オッサン2人組を捕まえた。途中野原で休憩し、パンとヨーグルトとハムとピクルス、コーラをご馳走になった。オッサンはTOYOTAの車が自慢のようだった。しっかし、どこにいってもゴミが散乱している国である。野原というより、ゴミの畑だ。 宿に戻ると、サーマル君に酒屋に案内してもらった。酒は人前で飲めないし、飲み屋も無いが、普通に手に入った。皆で夕食を食べ、ビールを飲んだ。花さんたちもダハブに滞在し、ダイビングを楽しんだと言う。その時ベドウィンのアクセサリー作りを教わったそうで、私にも作り方を教えてくれた。材料は木綿糸で、作り方にはコツがあった。中澤君が、オレンジと白のクマノミをイメージして作ったと言うので、私は紅海で見た青いエイを腕輪第一号とした。この腕輪は旅の終わりまで、ずっと付けていた。色あせて、ほつれて来たが今も旅の時には欠かせない大切なお守りとなった。 ジェラシュ遺跡〜お年寄りの元気に驚く・若者の悩み相談2004/6/30 夜、先にここで滞在している日本人青年と話した。彼は大学卒業後に旅に出て、アジアから1年半旅しているのだった。 イラクに行く人達〜ヨルダン最後の夜宿に戻る途中、菓子屋でアラビック・スイーツを買った。どれも糖蜜に浸され、甘そうだ。店員のオススメを2つ購入した。 |
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