バックパッカー一人旅〜海外旅行記と旅情報

ナポリ

2004/5/17
治安が悪いと評判のナポリだが、思ったより悪くはなさそうだった。アメリカン・エクスプレスでトラベラーズチェックを両替しようとしたら5/9付で空港に移転していた。銀行で両替してカフェで休憩してYHへ歩いた。
ドゥオーモ、教会巡りをして下町っぽいところに行った。ここは物が安く、活気があって気に入った。有名な1ユーロピザの店もあった。世界遺産のネアポリス〜古代都市ナポリ・ソッテッラネアが怪しげで見たかったが入場料が9ユーロだったので諦めた。夕方YHに戻ると日本人男性ホンダさんと知り合ったので、明日一緒にカプリ島青の洞窟に行くことになった。

カプリ島

2004/5/18
早朝6時にホンダさんと歩いて港に向かった。近道をする為、長いトンネルを抜けた。このトンネルは一人では絶対入れなかっただろう。彼もこのトンネルを恐れていた。絶対何かあると思わせる空気が漂っていた。

イタリア【ナポリ】

フェリーに乗り、カプリ島に到着した。ここからボートで青の洞窟に行く。ボート乗り場の看板には日本語で説明が書いてあった。洞窟付近で更に小船に乗り換える必要があった。しかし、フェリー、ボート代をつぎ込んだにもかかわらず、運の悪いことに波が高くて洞窟内に入ることはできなかった。
仕方ないのでケーブルカーでカプリ島の中心地ウンベルト広場まで登った。クロワッサンを食べて、ホンダさんはナポリに戻り、私はせっかくなのでカプリ島観光することにした。美しい民家が並ぶ坂を下りてマリーナ・ピッコラへ。紺碧の海が広がった。カプリ島周辺は砂浜が無いので、ゆっくりできる岩場を探した。小さな入り江や浅瀬の良い場所は殆ど有料かホテルのものだった。結局港付近の海水浴場の岩場に落ち着いた。
帰りのフェリーは行きの値段のだった。高速船のチケを買わされたことに気がついて、安いフェリーに変更してくれ、と言ったが変更不可能だったのでムカついた

夜、ホンダさんとYHのテラスでワインを飲んだ。彼は田舎から上京して都内の誰もが聞いたことのある大手の会社で働いていた。実家の商売を継ぐ為に会社を辞め、その前にイタリア周遊に来たのだった。
ヨーロッパが好きで、若い頃にベルギー、フランス、ドイツをバックパックしたこともあるという。

私達は同世代ということもあって、お互いの身の上話で盛り上がった。なぜ旅に出たのか?日本でのこれまでの生活、仕事の事、将来の夢、若気の至り、、、本音で夜中の3時まで語り合った。
ワインのせいでは無かった。…もう一生会うことが無い同士だからか。仕事を辞めしがらみを捨てて一介の旅人同士だからか。話す相手がいなかったからか。お互い似たようなタイプだからか。

多分、私も彼も誰かに聞いて欲しかったし、言いたかったのだ。
一人の人間として。

カプリ島〜再度挑戦!青の洞窟は本当に青かった

2004/5/19
青の洞窟に向けてホンダさんと早朝出発した。正直私も彼も特別青の洞窟に興味があるわけでは無かった。昨日高いフェリー代を払ったのに見れなかったのが悔しかったし、見なければ気が済まなくなっていた。

意地である。カプリ島に到着しボートに乗り換え、洞窟付近まで行った。すでに観光客が大勢、その殆どは日本人のおばちゃん団体だった。小船は4人乗りで私達2人と日本人女性2人相乗りした。
ここでもまた金を払わなければいけない。小船の兄ちゃんは私達が日本人だと確認すると洞窟に入る前からすぐに「アトカラ、チップチップネ?」と日本語で言った。チップを求められるのは日本人だけなのか?
小船が列を作り、私達の番がやってきた。洞窟の入り口は小さく、頭が当たらないように身を屈めた。波が引いたところで小船は一気に穴に滑り込んだ。

青の洞窟は、本当に青かった。青い光線が岩まで反射している。蛍光灯のようだ。洞窟は意外に大きかった。小船の兄ちゃんはチップを期待してゆっくり船を漕ぎ、奥の方まで行ってくれた。他の客より長い時間滞在できた。歌を歌う船乗りもいて、おばちゃん団体は歓喜の声をあげた。当然チップは渡さなかった。青の洞窟本当に青かった、これで私の気が済んだ

イタリア【カプリ島・青の洞窟】 イタリア【カプリ島・青の洞窟】
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イタリア【カプリ島・青の洞窟】  

ポンペイ〜時が止まった古代都市

イタリア【ポンペイ】2004/5/20
世界遺産ポンペイに行った。全てを見るのに6時間を費やした。ここまでスケールが大きいとは思っていなかった。
これは死ぬ前に絶対見ておくべき世界遺産である。この都市が火山灰に埋もれなかったらどうなっていたんやろう?と思わせる、ただの歴史的な遺跡じゃないものがあった。

イタリア【ポンペイ】 イタリア【ポンペイ】

イタリア【ポンペイ】イタリア【ポンペイ】灰に埋もれた人の穴に石膏を流し込んで型を取った物があった。
それは緻密な彫刻よりも人間味があるというか〜本当の人間の型だから当然だが〜生々しく、苦悶の表情、筋肉の動きまで、生きながら一瞬で灰になった事を物語っていた。

サレルノ〜非常事態発生!今夜のベッドはどこに?!

イタリア【サレルノ】2004/5/21
ナポリのYHをチェックアウトし、サレルノへ。海は澄んでいて魚の大群が見れて嬉しかった。
アマルフィ海岸巡りをしようとしたが、バス停が見つからなかった。しかもYHさえ見つからなかったので夕方ナポリのYHに戻った。

子供の合宿の団体がいたのでベッドが空いているか不安だったが、200人収容の大規模なYHやから大丈夫やろう、と思った。
しかし、泊まれなかった。オッサンは冷たく「ダメだ」。私の他にもカナダ人カップルがいたが彼らも宿泊できなかった。どう見ても満室で賑わっているようには思えなかった。

後に出会った人に聞いて分かったのだが、YHのPCが壊れていて、朝しか延泊、チェックインできないらしかった。夕方は空いていても満室だとウソをついて断るらしい。

困った。外はすでに日が沈んで暗くなり始めた。駅近くのもう一つの民営YHに行こうか悩んだ。
そうや!夜行という手がある!
どこにいこうか?

ニースや!やはり「プロヴァンス鉄道」を諦めたことがすごく心残りだった。次ヨーロッパに来るのは、数年後だろう。今行かなければ一生後悔することになる。

ナポリ中央駅は昼も夜も怪しい雰囲気だった。無事ジェノバ行き切符を買えた。ジェノバで乗り換える。腹が減ったので付近のマクドでポテトをテイクアウトし、2等列車のコンパートメントに乗り込んだ。この車両は電灯が点いたり消えたりして不安定だった。

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