パリ〜安宿のMAD婆さんと喧嘩!芸術にひたる
2004/4/4 シャルル・ド・ゴール空港から、エールフランスバスで市街地へ。パリに来たのは7年ぶりだ。今回の滞在目的は、朝から晩まで芸術鑑賞に没頭することだった。リヨン駅まで行きたかったのだが、道路工事で途中のモンパルナス駅で下りるハメになった。運転手は親切に、リヨン駅までの市バスの番号と、フランス語で何かの文章をを紙に書いてくれた。
モンパルナス駅は、古くて汚くて、怪しい感じがした。バス乗り場より先にメトロ乗り場を発見したので、メトロでいこうと思い、地下への階段を下りかけた。
が、背後に人の気配を感じた。振り返ると一人の若者が不自然に立っていた。明らかに怪しかった。つけられている、と思った。
半年の旅初日で、好んで犯罪に遭う必要も無かった。バス乗り場を探して乗り込んだ。念のため、さっきの運ちゃんが書いたメモをおばさんの運転手に見せると、”金は要らないよ”と手を左右に振った。運ちゃんのおかげで運賃が浮いた。
リヨン駅から、事前に予約しておいた11区と12区の間の安ホテルに向かった。モンパルナス駅での事もあるし、”いかにも今、到着したジャポンですよ〜”という姿でメトロは危険だと考えて、歩いて宿に行くことにした。
日曜なので殆どの店は閉まり、人影も少ない。だんだん街の雰囲気が寂しく、汚くなってきた。ガラスの割れた建物、廃墟、瓦礫の山…人々の身なりも、貧しく見えた。”パリって、こんなんやった?”
パリでシングル20€は安いと思って安易に飛びついたことに後悔し、 怪しい雰囲気にビビりながら、時折後ろを振り返って早足で歩いた。
宿の小さな看板が見えた。呼び鈴を押しても誰も出てこない。仕方が無いので数分待つと、誰かが出てきたので、入れ違いに中に入った。奥のフロントらしい部屋は無人だった。「Hello!!Bounjour!!」大声で叫ぶと、白髪の婆さんが出てきた。
「予約してあるSです。チェックインお願いします」
「・・・チェックアウト×××!!(フランス語で怒鳴り始める)」
「Non!チェックアウトじゃない、チェックインしたいんです」
婆さんには英語は全く通じなかった。チェックアウトがどーのとまくしたて、キーBOXをガンガン叩いた。
「チェックインじゃ、チェックイン!!!予約もすでにしてある!!!」
「チェックアウト×××!!!」
数回このやり取りを繰り返した後、彼女はフロントに入って中から鍵を閉めてしまった。
私たちの言い争いを聞いて、客のイギリス人カップルが二階から降りてきた。
青年「どうしたんですか?」
私が先ほどまでのやり取りを説明すると、彼は気の毒そうに言った。
「婆さんに英語は通じないよ。彼女はMADだ」
彼らは予約したメールを印刷して、見せたのだと言う。不覚にも私はそこまで用意をしていなかった。
「ここは危険だから、一人ならやめといた方がいいよ」
私は急いでJules Ferry YHに向かった。 婆さんと喧嘩をしている暇などない。
しかしパリを出て1ヵ月後、泊まっていないのにカードの不正請求がきたのであった。(勿論取り返した)
無事Jules Ferry YHにチェックインし、レピュブリック広場のマクドに落ち着けた。
マクドは禁煙なので、近くの公園でタバコを吸っていると、ジプシー風の母娘が近寄って来た。母親は、壊れた人形を赤ん坊の様に抱えていた。その人形を見て、私はすぐにその場を離れた。
Jules Ferry YHの周りには安いケバブ屋が沢山あったので、毎日ケバブを食べた。右:セーヌ川の夜明け
 その後、日本で予約してあったピカソ美術館近くのPension Commineceに移った。ここは中国人の親切なオーナーで、最終日満室で予約はできなかったのだが、特別に従業員の小部屋に安く泊まらせてくれた。立地条件も良く、またパリに来るときはここに泊まろうと思った。初日はさんざんだったが、時間を気にせずルーブル(3日通った)、オルセー、ピカソ美術館などでゆっくり美術鑑賞をし、あっというまにパリ滞在は終わった。次は一気にポルトガルへ飛ぶ。
左画像:宿で夕食!ワインは安くてハズレ無し、さすが!チーズも絶品! 右:朝7時のメトロ構内にて、空港へ向かう。
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