バックパッカー一人旅〜海外旅行記と旅情報

アスワン〜猛暑でキレる。スイカは超熟だった

2004/6/6
アスワン着。すでに駅のホームで宿の客引きが待ち構えていた。良い評判を聞いていた日本人に人気の”マルワホテル”に行くつもりだったので、彼らを振り切って駅を出た。すると、一人の青年が「マルワホテルに行くのかい?」と、話し掛けてきた。
客引きの相手に疲れたので無視してマルワに行くと、彼〜ムハンマドは本物のスタッフだったので、失礼を詫びた。
Domに、カイロのサン・ホテルに宿泊していた韓国人男1人女2人グループの、リー君がいた。彼らも同じ夜行でアスワンに着いたのだという。

アスワンはものすごく暑かった。情報ノートを読み、休憩してから対岸の古墳に向かった。
渡し舟乗り場のガキに、「運賃は2LE」と言われた。マルワ情報ノートには正規運賃が”0.5LE”だとあった。
をつくな!0.5LEだ!」
「2LE払わないと渡し舟には乗せない」と言い争いが続いた。何を言っても無駄だった。悪ガキへの復讐を誓い、とりあえず2LE払い対岸へ渡った。

対岸にはヌビア族の村があって、市街とは違う独特の小さな家屋が固まっていた。
古墳に近づくと、中から警察とガイドが出てきた。客は私とエジプシャンの男性の二人。ガイドはアラビア語で身振り手振りしながら説明してくれた。中にはがあったり、見事な壁画、祭壇があった。ガイドはバクシーシを請求しなかった。案内された箇所以外にも、キリスト教の美しい壁画が見られた。
古墳の上の丘に登った。熱風が吹き、頭がくらくらした。瓦礫の影に座って、砂丘で一人、しばしナイル川とアスワンの街を眺めた。

帰りの渡し舟乗り場で、私は黙ってオッサンに0.5LE出した。
「あんたは、運賃が0.5LEだと知っているのか?」勿論無視!
オッサンは続けた。 「あんた、ジャパンかい?Can you speak English?」
無言で0.5LE札を机に叩き付けた。背後でオッサンが「待て」と怒鳴ったが、強引に船に乗り込んだ。
戻ると、あの悪ガキに言った。
「向こうの人が運賃は片道0.5LEだと言った、1.5LE返せ
ガキはまたしてもごちゃごちゃ文句を言った。数分の言い合いの末、1.5LEを取り戻した。金を返した後も、ガキはふてくされた顔でブツブツ何か言った。
とうとう、キレた。日本語で怒鳴りまくった。
「お前!ふざけんな!ブッ殺すぞ!」
左手で胸倉を掴み上げ、小柄なガキを持ち上げ揺さぶった。右手で殴ろうとしたが、ガキの顔寸前で止めた。

分かっていた。外国人観光客から金をぼろうとするヤツ相手に、怒っても無駄だという事が。ここではそれが当たり前なのだという事が。10円、20円の世界で怒り、戦う事が馬鹿げた事だという事も。
猛暑と客引き、しつこいタクシー、怪しいヤツ、常に人を疑い続けている事、あらゆるエジプトでのストレスが、ここで爆発したのだった。

そしてエジプシャンたちは、皆無表情でガキと争う日本人旅行者を傍観していたのであった。

エジプト情報Marwa Hotel…エアコンなしファン付Dom6LE。エアコン付8LE。エアコン付ツインもある。エアコン無しDOMに泊まったが、かなり暑くて寝苦しかったのでアスワンではエアコン付を勧める。部屋は清潔、スタッフは親切、フレンドリー、信用できる。情報ノートも充実。また利用したい宿。近所の食堂も安いウマイ!
アブ・シンベルロングツアー(朝食・昼食付)…50LE。早朝出発。アブ・シンベル、イシス神殿、オベリスク、アスワンハイダムを巡る。入場料、イシス神殿フェリー代各自負担。
対岸への渡し舟運賃…片道0.5LE。
アスワンのスイカ濃厚な甘さ。街ではいたるところにスイカ売りが。特大5〜6LE。

アスワン〜アブ・シンベルロングツアー

エジプト・アスワン【アブ・シンベル】6/7早朝、韓国人グループと他のホテルの人たちと一緒に、まだ暗い中小型バスで出発した。途中検問で待つ。観光客を乗せたバスや車が1列になって、何も無い大地の一本道を進み、超有名世界遺産アブ・シンベルを目指す。すごい行列だ。日の出以外は、単調な荒野しか見えない。

チケット売り場、トイレはすでに混雑していた。チケットを購入し、ぐるりと大神殿の後ろを歩いて表に出た。巨大な像が4つ並んでいた。TVで見た、アブ・シンベル神殿そのままだった。柱、壁には一面に見事なレリーフが施されていた。

右:アブ・シンベル大神殿正面

次にイシス神殿に行った。ボートで神殿の島へ渡った。素晴らしいレリーフがくっきりと残っていて、見ごたえのある大きな神殿だった。神殿の石に手を付いたら、軽いやけどを負ってしまった。イシス神殿。とにかく暑ちー

アスワン・ハイ・ダムは昔地理で習ったので、妙に本物が見れて嬉しかった。
最後にオベリスク見学。暑さと早朝出発で疲れたのか、最後はツアー参加者約8名の内、私とリー君とアメリカ人青年の3人しかバスを降りて見学しなかった。オベリスクは古代の石切り場なので日光が反射し、最高に暑かった。卵を落としたら目玉焼きになるのでは?と冗談抜きで言うくらい石は燃えていた。

宿に戻ると、ムハンマドお手製の料理のはずが、彼がスープをこぼしてしまい、レストランで買ってきたスープとライス、韓国の子達が持参した韓国海苔の昼食を食べた。美味かった。
マルワホテルの人達は本当に良い人達で、毎日がHAPPY息子ムハンマド達とスイカを食べながら面白い話をした。オーナーの親父さんもいつも温かい笑顔だった。ムハンマドはルクソールで働く予定だと言っていた。今頃はそこで頑張っているのだろうか。

アスワン→エドフ〜フルーカで2泊3日ナイル川の旅

2004/6/8
韓国グループとフルーカをチャーターした。ナイル川を下って、エドフまで行く予定だ。マルワの人たちに見送られ、フルーカ乗り場へ行った。
キャプテンの名前はナジャ、息子のモハメッドがアシスタントだ。

フルーカはすぐに風に乗り、ナイルを進んだ。川沿いには緑が茂り畑仕事をする人、牛の世話をする人、ナイルと共に生活するエジプシャンの姿が見られた。緑が途切れ、砂漠に挟まれると熱風が吹く以外では、フルーカ船上は涼しく快適だった。女の子が持ってきたCDラジカセから聞こえるのは、韓国がリメイクした尾崎と浜省だった。妙に懐かしかった。エジプトでまさか尾崎を聞くとは思っていなかった。


エジプト・ナイル川【夕暮れ】
ナイルの夕暮れ

夕刻、フルーカを岸辺に止めると、ナジャキャプテンとモハメッド君が食事の支度を始めた。(チャーター料金に食事代全て込み)
夕食はキュウリとトマトのサラダ、マカロナ、アエーシだった。女の子達はエジプトの食事が口に合わないらしかった。私とリー君二人で全て食った。すっかり日も暮れ上を見上げると、都会暮らし者には感動ものの満天の星空だった。
夜は少し冷えるのでジャンパーを着込み、毛布と寝袋を被って皆で並んで寝た。

バックパッカー一人旅のエジプト旅情報フルーカチャーター…2泊3日食事込み一人60LE+バクシーシ。風の状態によるので必ずしも目的地にたどり着く保障は無いが情緒たっぷり。オススメ!

コム・オンボ、ヌビア村〜マストが折れた!ヌビア族の家庭に招待される

6/9チーズとアエーシ、ジャム、シャーイの朝食。この日からミネラルウォーターが無くなったので、ナイル川の水でシャーイも食事も作られたが全員無事であった。

エジプト・ナイル川【ラクダ市場】コム・オンボ神殿見学、船着場でランチ。今日は強風すぎるのでしばらく待つこととなった。他の旅行者のフルーカも停泊している。フルーカ乗りの休憩所の水道で体を洗わせてもらった。
ナイル川を覗くと、澱んだ藻だらけの緑色の水の中には、スイカの皮、ゴミ、タバコの吸殻、タイヤ、小魚の群れ、いろんな物が見えた。

ようやく風がおさまったのでコム・オンボ出発。途中、モハメッド君の案内で川沿いからセルビスに乗り数分のローカルな村に寄りラクダ市場見学、スークでスイカや飲料を購入。

右:ラクダ市場。ラクダはけっこーでかい!

フルーカは大揺れでひっくり返りそうだった。水をかぶりながらジグザク運転で岸辺に停泊、ナジャキャプテンが大声で息子に指図する。モハメッド君はするするとマストに登り、ロープを引っ張り始めた。
下からリー君が手伝う。私は彼の持つロープが、モハメッドとは違うような気がした。マストが歪んでいた
「オイ、そのロープは違うんじゃないか?ストップ!ストップ!
私の声が聞こえないのか、彼は更に力を込めてロープを引いた。
マストは折れてしまった
ナジャキャプテンは折れたマストを陸に引き上げ、修理を始めた。近くの民家の人たちが手伝い、マストはなんとか修復された。

夕食後、ナジャキャプテンの友人のヌビア族の家に招待された。
おばさんと子供達に先導され真っ暗な道を歩くと、一軒の泥と藁で造られた小さな民家があった。中に入ると裸電球の小さなベッドが2つある天井の低い部屋に通された。
カレンダー、ポスターが貼られたその部屋に全員入りきれなかった。ベッドに腰掛け、私はガイドブックのアラビア語会話集で交流を試みた。
「会えて嬉しいです。私は日本から来ました、彼と彼女達は韓国人です」
ヤバーニ(日本人)!」
おばさんは日本を知っていたようだった。嬉しかった。ガイドの会話集なので会話には限界があったが、おばさん、娘さん、子供達7〜8人の子沢山家族はカメラに驚き、日本語のガイドブックを覗き込み、子供達は異国の客にはしゃいで大騒ぎ、ハイビスカスのシャーイとシーシャをご馳走してくれた。画像:シーシャははまった!
おばさんが手招きするので外に出ると、屋外にベッドが2つ並んでいた。
「ここは子供たちの寝床なんだよ」
庭のマンゴーを私がもぎ取ると、子供達が暗闇に消え、マンゴーを沢山収穫してきてくれた。おばさんはナイフで皮を剥いて私達にくれた。まだ青く硬かったが、美味しかった。
白いロバの鼻息に驚く私達の表情、子供の喧嘩に笑ったり、身振り手振りで会話したりした。主人が帰ってきたので握手した。
女の子達が戻りたいと言ったので「さようなら」と言うと、おばさんは寂しそうに私の手を握り締めた。
もう帰るのかい?
お礼に子供達にペンと紙をプレゼントした。子供はペンの使い方を知らなかったので教えた。
「これで勉強するんやぞ〜」
おばさんは名残惜しそうに何度も私の手を握り締めた。来た道を皆に先導されてフルーカに戻った。知る限りのアラビア語で礼を述べた。

ナイル川〜予定変更。電車でルクソールへ

エジプト・ナイル川【フルーカのナジャキャプテンと息子のモハメッド君と】6/10風の調子が悪く、フルーカでエドフまで行くのが不可能なので電車でルクソールに行くことになった。ナジャキャプテンにセルビスを止めてもらい、名前も分からない駅に行った。ホームで電車を待っていると警察が来た。ルクソールに行くことを告げると、次の電車だと教えてくれた。右:ナジャキャプテンとモハメッド君と

ルクソール〜悪名高きルクソール…?

電車はルクソールに着いた。 宿は歩き方に掲載のハッピー・ランドだ。ルクソールの宿の評判はどこも悪く、結局どこに泊まっても同じだ、と思ったからだった。道でオアシス・ホテルの客引きがしつこく着いてきた。私はルクソール滞在中毎日オアシスの客引きに出会った。チェックインを済ますと私はマクドで休憩した。目前にルクソール神殿が見え、ロケーション抜群だ。神殿は外から見えたので入場しなかった。
そして徒歩でカルナック神殿に向かった。途中民家を通ると子供がバクシーシとペン、食べ物をねだった。それを見た青年が叱ると、子供は逃げた。街中にヤギが放牧され、あちこちで遺跡が発掘され、エジプトらしく野放し状態だった。あいにくカルナック神殿はすでに閉館だった。
歩いて戻り、川沿いのミイラ博物館へ。動物や鳥などの変わったミイラが展示されていた。

日が暮れるまでフラフラし宿に戻ると、リー君がイッサラームホテルの西岸ツアーに申し込みに行くと言う。ハッピーのツアーは入場料別、イッサラームは入場料込み、で考えるとイッサラームの方が得だったので一緒に申込みに行くことにした。
イッサラームは日本人に人気の有名安宿だ。ハッピーやオアシス同様、情報ノートや宿泊した人に聞くとどこも賛否両論であった。ツアーを申込み、二人で屋上の日本食レストランで情報ノートを見ながら食事していると、オーナーのアリ氏が来た。体格の良いなかなかの色男だった。
「やあ、なんでウチに泊まらないんだい?日本人の友達が大勢いるのに」
レストランには他に日本人男性3人、韓国人カップル1組がいた。その中の一人の日本人はけっこうここらへんで有名らしき人だった。

バックパッカー一人旅エジプト旅情報悪名高きルクソールルクソールの人間を嫌いな人は多かった。運が良かったのか個人的には何も被害・不快感は無かった。正直屋もあり、親切にされた事も多かった。
ハッピー・ランド…エアコン付Dom10LE。トイレ・シャワー共同朝食付。日本語インターネット有、8LE/1H。洗濯不可。オーナーは厳しい。クーラーをつけたままベランダでタバコを吸ったら怒られた。貴重品の管理に気を付ければ、快適に過ごせる。
イッサラーム・ホテル…西岸ツアー。入場料込み。メムノンの巨像、王家の谷、ハトシェプスト女王葬祭殿、不必要だが焼き物土産屋を回る。宿泊していないのでなんとも言えないが、後に出会った男性はここで300$の盗難にあったそうだ。

ルクソール〜王家の墓、カルナック神殿

6/11早朝イッサラーム・ホテルに行った。セルビスに乗り込み、途中3組の旅行者をピックアップして、西岸に向かった。私の他は韓国人新婚カップルとグループ、アメリカ人グループだった。

エジプト・ルクソール【メムノンの巨像、王家の墓】
メムノンの巨像、王家の墓

まず王家の谷見学。入り口の土産物屋がうるさい。炎天下でのガイドの説明が長くてしんどかった。2、3の墓内部に入った。
崖に面するハトシェプスト女王葬祭殿は巨大で美しかった。そしてメムノンの巨像を見学。そこから見える崖は古墳の穴だらけだった。私はカルナック神殿に行きたかったので、ガイドに行かないのか聞いた。ガイドは全員が行きたいなら行くと言ったが、皆帰りたがったので行けなかった。割引するから高級レストランに行こうと誘われたが、全員断った。
焼き物土産屋を見学し、ツアーは終わった。
皆は満足気だったが、私は高くてもタクシーをチャーターして、日本語ガイドを雇って、個人で回ればよかったと後悔した。金をケチりすぎるのも考えもんだ。


その後、一人でカルナック神殿まで歩いた。昨日と同じ道で同じ少女達に物をねだられ、大人が怒り、子供は逃げた。首の無いライオンの遺跡、ヤギの放牧を通り、荒地を抜けてカルナック神殿にたどり着いた。
スフィンクスの並ぶ参道、巨大な像、大列柱室は圧倒だった。

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