バックパッカー一人旅の海外旅行記と旅情報

ギザ〜巨大なピラミッド・神秘的なスフインクスを取り巻く商人VS観光客

エジプト・ギザ【ピラミッド群】
パノラマポイントから見たピラミッド群


2004/6/4
早朝ギザのピラミッドへ出発した。ガイドブック通りに、ギザ広場までメトロを利用し、そこの大通りから市民が利用するバスを捕まえるつもりだった。通りに出ると、タクシーとミニバス(観光客用バス)の勧誘を無視して歩くと、年配の男性が英語で話しかけてきて、バス停まで案内してくれた。
「タクシーとミニバスはツーリストプライスで高いから、乗っては駄目だ。ここに来るバスはエジプシャンプライスだから大丈夫だよ」
おじいさんがバスを止めてくれ、乗り込んだ。だんだんピラミッドが見えてきた。巨大だった。運賃はわずか0.25LE(\5)だった。

エジプト・カイロ【クフ王のピラミッド】実際ピラミッドの周りを歩くと、その素晴らしさ、神秘性、王様の権力の偉大さがよく分かった。
クフ王のピラミッドの中に入った。チケットは簡単に購入できた。頭を屈めて通路を登ると、奥には黒い石棺が置いてあった。狭い部屋に大勢がいるので、熱気でむんむんしていた。 右:クフ王のピラミッドの巨石

ラクダ・馬乗り、民族衣装の客引きは沢山いたが、ガイドに書いてあるほどそんなに酷いとは思わなかった。ここでも警察がラクダに乗って警備していて、私に近づく客引きを追い払ってくれた。

パノラマポイントまで歩いた。観光バスが通る他は、歩いているのは自分だけだった。そこからのピラミッドの眺めは、素晴らしかった。土産物屋、観光客と記念写真を撮って稼いでいる民族衣装の人々、ラクダ乗り、団体観光客にエジプシャンが群がる。独り者の私には誰も寄って来なかった。
ツアー客の1組の白人夫婦が民族衣装の人と一緒に写真を撮ったらどうなるのか、観察した。
民族衣装商人が自分のターバンを奥さんに被せ、旦那がシャッターを押した。ピラミッドをバックに数枚写し、最後は近くの仲間に頼んで、3人で肩を組んで笑顔で記念撮影。
そして民族衣装は手を出し”バクシーシ”を要求。奥さんは顔をしかめてバスに向かって歩き出したが、旦那は苦笑してバクシーシを渡していた。こんな有名観光地で、タダで撮影なんぞありえない。金を稼ぎに、彼らはここに来るのである。どこに行っても、日本人でも外国人でもおばさんパワーが世界で1番強いなあと思った。


エジプト・ギザ【スフィンクス】
スフィンクス

エジプト・ギザ【スフィンクスとクフ王のピラミッド】
スフィンクスとクフ王のピラミッド

ピラミッドだけではなく、周囲には遺跡が点在していた。あちこちで民族衣装たちと記念撮影してバクシーシを渡し、もっと要求され、しぶしぶ渡す観光客の姿(年配の男性ばかり)を目撃した。
スフィンクスは、意外に小さく感じた。猫みたいで愛嬌があった。柵の向こうでは、葉書売りや水売り、土産物売りが手を伸ばして一生懸命観光客に声をかける。
ピラミッドだけに言えることでは無いのだが、他の旅行者とも話した事だが、エジプト有名観光地は日本で情報過多になりすぎ、「これか〜!すげー!」という驚きや感動はあまりなかった。個人の趣味もあるかもしれない。でも、百聞は一見にしかず

早朝起床して4時間ピラミッドを歩き回ったので、帰りのバスで寝過ごしてしまい、終点まで行ってしまった。
カイロ郊外の地図には無いわけのわからん小さいバスターミナルだった。ラムセス駅行きに乗り込み、車内でガイドブックを読んでいると隣に座った男性が、「どこまで行くんだい?」と私に聞き、ラムセス駅だと答えると、着いたら教えてくれた。

駅で明日乗るアスワン行き夜行電車の切符を手配した。2等列車を頼んだのだが、購入した(買わされた)のは1等席だった。

そしてエジプト考古学博物館を見学。膨大で興味深い展示品だったが、説明書きすら無く、粗末な木製の棚にただ並べてあるだけだった。世界的有名博物館なのに、それが意外だった。保存状態は大丈夫なのだろうか?しかしツタンカーメンの宝物コーナーとミイラ展示室は日本のように丁寧に展示されていた。
ビールを買って、なじみになったコシャリ屋でテイクアウトし、宿に戻った。

イスラミックカイロ〜市民の生活が見えた。カイロ下町、シタデル、巨大ガーマ

6/5カイロ最終日。徒歩でイスラム地区へ。埃だらけの街を歩く。水は必需品だ。毎日1.5〜2リットル軽く飲むが、トイレに殆ど行かなかった。コシャリ、生ジュース、マンゴーアイスを食べ歩きながら、ムハンマド・アリ通りを歩いた。暑さと、車を避けるのに神経を使うので、普通に歩くより倍の距離を歩いている気がした。
すれ違いざまに、人々が「Welcome」「hello」「Japan」と声をかける。エジプトでは毎日「welcome」と言われた。一人一人に「ショクラン(ありがとう)」と言っていたらきりがないくらい、日本人には皆声をかける。日本人にしか歓迎の言葉を言わないらしい。それはエジプトのよき思い出のうちの一つだった。

スルタン・ハサン、ガーマ・リファーイが見えた。巨大すぎて、写真におさまりきれなかった。
ガーマ・リファーイでは勝手にオッサンが説明しだして、予想通りバクシーシを求めた。0.5LE渡すと、「少ない!!さっきの白人はもっとくれたぜ」と文句を言った。ガイドといえる内容ではなかった。”これは××です”とか、”シャッター押しますぜ”とか、一人でゆっくり見学したかったのに、急かすように案内されたので0.5LEでも多いと思ったので言った。
「それで十分。それでも多すぎるわ、コラァ!」
「たった50pt(ピアストル。0.5LE=50pt)!たった50pt!」オッサンは逆ギレして怒鳴った。無視して出ると、靴預かり所のオッサンバクシーシを要求。勿論そいつも無視。隣接するスルタン・ハサンの係員たちは何も言わなかった。隣同士なのに、えらい違いである。

エジプト・カイロ【シタデルから見たカイロ市】
シタデルから見たカイロの街

エジプト・カイロ【シタデル付近】オッサンどもに気分を害され、灰色の要塞シタデルに向かった。 通りには小さな町工場が多かった。親切なバイク屋の人たちが、入り口を教えてくれた。

右:シタデル周辺
シタデルの高台からカイロの街を眺めた。遠くに、ピラミッドと砂漠が見えた。ピラミッドの巨大さを、改めて感じた。
軍事博物館、ガーマ・ムハンマド・アリ、博物館を見学した。

シタデルを出て、ブルーモスクがある細い道に入った。
そこはカイロの下町だった。スイカを積んだロバ車、アエーシを大量に入れたざるを頭に乗せたおじさん、馬、チャリ、バイク、街の人たち、埃が渦巻く。異国情緒たっぷりだ。子供が「hello」と手を振る。物売りも、キャッチも、タクシーもいない。
ブルーモスクはあっちだよ!」屋台のにいちゃん、工場のおじさんが流暢な英語で教えてくれた。一人うろつく日本人に、皆注目していた。
ここでは、本当のカイロ市民の生活が見れたような気がした。

夕食にコシャリを食い、水と食料を買い込んでラムセス駅に行った。ホームに同じ宿に宿泊していたスペイン人カップルがいたので、一緒にナッツを食って夜行列車を待った。彼らは先にルクソールに行くのだと言う。
車内は冷房ガンガンで、椅子がゆったりとしていて、快適だった。

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