バックパッカー一人旅〜海外旅行記と旅情報

エジプト・アラブ共和国

バックパッカー一人旅エジプト旅行記と旅情報

バックパッカー一人旅エジプト旅行記と旅情報ヨーロッパからいきなりエジプトに飛んでも、初めてのイスラム圏でも、全然驚きも違和感も感じなかった。灼熱の日差しでイライラ、噂通りのエジプト商人、一部の汚い野郎どもに疑心暗鬼し、キレまくり喧嘩ばかりの日々だった。エジプトで心が荒んだ、と言った旅人も少なからずいた。だが、本当に多くの善良な市民は親日家で親切で、胸が熱くなる事がそれ以上に多かった。素朴な村人、他人の子供を叱る大人、たくさんの野良犬、チャドルで顔を覆った女性、モスクで祈りを捧げる人々、街ではすれ違う人々が”Welcome!”と声を掛ける。それはジャパニに対してだけの、歓迎の挨拶であった。毎日が喜怒哀楽の繰り返しだった。エジプトを出るとき、もう来ることは無いだろうと思ったが、今また行きたいと思っている。

旅のルート

カイロ、ギザ→アスワン→ナイル川ヌビア族の村→コム・オンボ→ルクソール→ハルガダ→ダハブ→ヌエバア→ヨルダン

カイロ〜最初の出会いは、心優しきエジプト美人

6/1当初はルフトハンザの予定だったが、オーバーブッキングの為、アリタリアでローマからエジプト入りした。飛行機の窓からは、熱い空気がゆらゆら立ち上る砂漠しか見えなかった。空港でビザは簡単に取れる。入国審査で日本人の自分が少し待たされたのが意外だった。
私が到着したのは、第2ターミナルだった。バス乗り場の看板に向かって歩くと、タクシー運転手に「そっちにバス乗り場は無い」と言われた。どこにあるんだ、と聞くと駐車場を指差した。他の個人旅行者とタクシーをシェアしようと思ったが、同じ便で来た人たちはエジプト人かツアーの人たちで、皆迎えのガイドが来ていた。一人でバスを探しているのは私だけだった。
マニュアル通りに、自称ガバメントスタッフ野郎だの、タクシーの客引きが声を掛けてきた。

とりあえず、空港向かいの駐車場に行った。その向こうは砂漠だ。案内看板も無い。警察に聞いて、やっとバス乗り場らしき、藁葺き屋根付木のベンチに数人いるのを見つけた。その中で、白いブラウスに膝丈のグレーのスカート、ウエーブのかかった黒髪を後ろに束ねた、目も覚めるようなエジプト美人がいた。今でも彼女の顔はよく覚えている。背の高いネクタイ姿のビジネスマン風のエジプト男性と談笑していた。お似合いの美男美女カップルだった。迷わず彼女たちに市内行きバス乗り場はここで正しいのか尋ねた。
二人は「そうですよ」とにこりとして答えた。
男性と何か話した後、彼女は「ここから直接市内には行けないの。第一ターミナルのバス乗り場で乗り換えしなくちゃいけないわ。私も途中まで行くから、一緒に行きましょう」と言った。
すぐにバスが来た。男性はバスに乗らず、爽やかな笑顔で恋人に手を振った。車内はけっこう混んでいた。吊革につかまり、彼女の顔を盗み見た。ここまで衝撃を受ける程、完璧に美しい人を見たのは初めてだったのかもしれない。一切化粧はしていない。ムスリムで無いのかスカーフは被っていない、清潔感のある洋装。白い透明感のある肌、ふさふさの睫毛が薄いグリーンの瞳に影を作り、話し掛けられる度にその大きな瞳に釘付けになった。どきどきした。
第一ターミナルから、中心街まで直通のエアコンバスがあるわ。私は途中で降りるけど、ターミナルは大きくて沢山バスが止まってるから、絶対分かるわ、大丈夫よ」
彼女は外国人で一人旅の私が心配なのか、エジプト訛りの上手な英語で何度もそう言った。
私たちの会話を聞いていた年配の男性が、「ワシがターミナルに着いたらこの外人さんに教えてやるよ」と言ったのか、彼女は安心した表情で「この方が教えてくれるわ」と言った。
そして私の運賃も払ってくれた。私が「エジプシャンバウンド持ってますよ」と返そうとしても受け取らず、前の男性に私の事を頼んでバスを降りた。「Thank you!Thank you!」美しい人に、心からお礼を言った。彼女以上に美しい人を見ることはもう無いだろう。それほどまでに、人間離れした高貴な美しさであった。
第一ターミナルに着くと、男性は「あれが市内行きエアコンバスだ」とこのバスより立派な観光バスを指差した。バスを降りると、皆が「あのバスだ、あれだあれ!」と教えてくれた。

バックパッカー一人旅エジプト旅情報Cairoの宿・Sun Hotel…シャワー・トイレ共同、朝食付扇風機付Dom15pt(\300)。タフリール広場前、メトロの駅直ぐ側で便利。タラアト・ハルブ通りにはコシャリ屋、ファーストフードが多い。朝食は紅茶、パン、チーズ、ジャム、ゆで卵。ロビーにTVがある。ベッドは大きめ、清潔。スタッフは大人しい。普通の安宿。日本人宿さくら(Dom$5)は泊まった人に聞くと、マンガとプレステがあったので、とても居心地よかったとのこと。

カイロ〜まずは酒屋探しから!

親切な人々のおかげで、無事タフリールのバスターミナルに着くことができた。
ここで最初の難関が私を待ち構えていた。車がびゅんびゅん走る大通りには、横断歩道も歩道橋も無かった。エジプシャンが渡るのに合わせて、必死で大通りを渡った。カイロで道を渡るときは、人間が暴走車、バイク、ロバ車を避けなくてはならない。車は絶対止まらない、スピードを緩めない。引かれたヤツが悪いのだ

エジプト初心者なので、とりあえず交通至便なタフリール広場近くのサン・ホテルに行ってみた。
6人ドミは扇風機付でベッドが広く、ガイドブックに悪い事が書いてなかったのでチェックインした。
宿近くにケンタッキーがあったので、チキンとサラダ、コーラのセットを注文した。カイロはケンタッキー、ピザハットが多い。日本のケンタッキーより油っぽく、タイ国際空港で食ったものと似ていた。店内はクーラーが効いていて、エジプシャンの若者達で賑わっていた。

イスラム圏でも酒屋は存在する。早速ビールを買いに街に出た。
タラアト・ハルブ広場で信号待ちをしていたら「この信号は壊れているよ」
通りすがりの親切な人だと思い御礼を言うと、彼はすぐに「キミは日本人だね?」と聞いた。
ああ、こいつらか、と思った。日本人狙いである。無視して歩き出すと、「日本人だろう?」としつこく聞いてきたので「韓国人じゃ!」と答えた。相手は「嘘だ!どう見てもキミは日本人だ!」と言った。無視した。しかし、さりげなく親切な人を装ってキャッチするとは、騙される人もいるかもしれないなあ、と思った。
カイロ滞在中、何度かタラアト・ハルブ広場を通ったが、そこで毎日3人は怪しい人を見た。

エジプトでビールを買うと、真っ黒なビニール袋に入れてくれる。宿で酒を飲むときは、スタッフに見えないように飲んだ。

カイロ〜暴走車、ロバ、バイク、エジプシャン、バクシーシ!喧騒の街に突っ込め!

6/2カイロに来てまず最初に、経費削減対策として国際学生証を作る必要があった。以前ブダペストの旅行代理店で作成したことがあるが、ここカイロでも簡単に手に入れることが出来るらしかった。
フロントで「国際学生証が欲しい」と言うと、スタッフの一人が案内してくれることになった。
「僕のJapanese nameは、タカシ。よろしくネ!キミは結婚しているの?」
エジプト・中東ではよく初対面でも既婚か未婚か聞かれた。

タクシーで学生証を作成する協会みたいなところに着いた。書類に必要事項を書き、パスポートを見せ、写真1枚提出して60.50エジプシャンバウンド(以下pt)で手に入れることができた。名簿には韓国人、ポーランド人、アメリカ人など各国の旅行者の名前が記入してあった。皆考えることは同じである。
待たせてあったタクシーに乗り、宿に戻った。タクシー代は往復15ptだった。負けろと言ったが運転手は聞かない。エジプトに関しての情報を何も仕入れていなかったので、相場が分からない。”これ絶対ボラれてるよな〜”と思いつつ、全額払ってしまった。

宿に入る前に、タカシは当然”バクシーシ(喜捨)”を要求してきた。初めてのバクシーシ攻撃だった。とりあえず、案内代として1pt渡した。「もっとくれよ」と手を出すタカシ。
「いくら欲しいんや?」
「5pt」
たくさんやりすぎて、いいカモだとナメられたく無かった。追加で0.5渡した。「これで十分やろ?なぁ?」脅す。 彼は不満そうだったが、それで引き下がった。

徒歩でアブディーン宮殿へ。カイロでは至る所で白い制服の警察が警備していた。コシャリ屋を見つけたので入る。当たり外れの無い安くて美味い食物として、エジプト滞在中は1日1食コシャリを食った。
アブデーイン宮殿は、軍事博物館のようだった。銃器、刀、鎧が展示され、庭にはスコープで警戒する軍人、奥に行こうとしたら止められた。

ハーン・ハリーリのあるイスラーム地区へ向かう。当然だが、かなり暑い。暑いから、数十分の距離が数時間に感じられた。生ジュース屋マンゴージュースを飲んで休憩。大2pt。生ジュース屋はどこにでもあり、ちょっとした休憩には最適の場である。マンゴージュースは病み付きになった。

イスラーム芸術美術館は工事で閉館だった。途中電気街があり、そこはなぜか笑えるくらいに大勢の男、男、野郎の巣窟だった。女性の姿は見当たらない。TVで見た、イスラム圏の映像そのままだった。

たどり着くまでに、数回大通りを渡らなければならなかった。交通ルールなど存在しない。渡るというより、車を避けながら突っ込むのである。1台避けて、また1台避けて、バスがいきなり止まるわ(乗る人が手を上げたら止まる)、ロバ車がくるわで、慣れないうちは大変だった。

アズハル通りを進むと、歩道橋が見えた。手前の縞模様のスルタン・ゴーリーのマドラサに入った。靴を脱ぐと、係員がいた。中は涼しく、礼拝中の人もいた。マドラサを出るとき、当然のように彼は”バクシーシ”を要求した。英語で詳しく説明されたわけでもなかったので、”0.40pt”出した。彼はそれを見ると「No,Thank you」と、苦笑して断った。馬鹿にされていると思ったのだろうか?あの苦笑は、そういう意味に感じられた。自分が失礼な事をしたような気分になって、マドラサを出た。

外に出ると、”自称ガイド”が私を待ち構えていた。 眼鏡の若い男だった。「ジャパン!タダでガイドしますぜ〜!!」断っても、目の前をチョロチョロ、勝手に案内をし始める。ウゼえなあ〜!
「ボケ、消えろ!!」と日本語で怒鳴ったら消えてくれた。

ガーマ・アブル・ダハブには、沢山の参拝者がいた。その時観光客がいなかったので、そこには近寄りがたい雰囲気があった。向かいのガーマ・アズハルも、そうだった。勉強をしている人もたくさんいた。
信者の人が多かったので、ガーマ・ホセインは入場せず入り口からそっと覗いた。

クレオパトラ〜タバコ売りの少年

ホセイン広場に面したカフェで、ネスカフェを注文した。商品名ではない。カフェのメニュー名である。 出てきたのはインスタントコーヒー(ネスカフェ?)の粉を湯に溶いて牛乳を注いだ、コーヒーともカフェオレとも分類できない、コーヒーの香りも無い、味の薄い生温かい飲料だった。
ネスカフェを飲みながらタバコを吸っていると、首から箱を提げた10歳くらいの少年がやってきた。なんとなく、怯えた表情に見えた。少年は黙って私のテーブルにクレオパトラ(エジプトのタバコ)の箱を2つ置いた。名前の通り、クレオパトラのイラストが書いてある。
カイロに着いて速攻ヨーロッパでは絶対買いたくは無い高級タバコのマルボロを仕入れたので、買う気はなかった。
私が2本目のタバコに火を点けた所で、少年は肩を落としてタバコをしまい込み、とぼとぼと店を出た。少年の泣き出しそうな後姿に、買わなくて悪かったと、後悔させられた。

しかし、しばらくすると少年は戻って来て、さっきと同じようにタバコを置いた。小さな声で何か言う。「買ってくれよ…」と言ったのだろう。下からじっと、私を見つめた。
あんたが買ってくれるのを諦められない、タバコ2箱に勝負=生活を賭けた、訴えるような目で。値段を聞くと、周りの客が通訳してくれた。3pt(\60)だった(本当は2.75pt。カイロではどこでも3ptで買わされていた)。2箱買うことにした。
「OK!2つ買うよ」私が財布を出すと、無表情で疲れた顔の少年は驚くくらいの笑顔になった。
「よかったなあ、ぼうず」私たちのやり取りを見ていた客や店員も、嬉しそうだ。
私が札を出すと、少年はまた泣きそうになった。つり銭が足りないらしかった。すると私の隣の男性客が、つり銭を全額出した。
少年は満面の笑みで私たちにお礼を言い、元気良く走り去った。
自分がタバコを買った事は、どうでもいいことだった。ただ、少年に対して「よかったな」と、思った。
つり銭を出した男性が話し掛けてきた「あんた、どっから来たんだね?」
「Japan!」
「Welcome!」

ハーン・ハリーリを一通り見学。特に欲しいものは無かった。ここでもエジプト商人たちは熱かった。壮絶な客引き合戦が繰り広げられる。白人のおばちゃんの腕を引っ張りながら、道行く観光客に声をかける。ところどころで水を飲みながら休憩し、歩いて宿に戻った。

オールド・カイロ〜イスラームの中のキリスト社会

6/3朝、フロントで日本人の青年に会った。ピラミッドに行ったのか聞かれたので、「明日バスで行く予定だ」と答えると、それを聞いたオーナーの一人(と言っていた)でこのサン・ホテルのガイド兼運転手のオッサンが「二人だったらオレが車で案内するぜ、1日チャーター一人20$だ」と言った。20$は高すぎた。自分でバスで行ったほうが絶対安い。断ると「いいから座って座って、フレンド」。彼と二人でソファーに座らされた。
「オレの話をよく聞いてくれよ。明後日、オーストラリア人のグループをガイドするんだが、彼らは一人60$だ。ただしランチ付だがね。それを考えると、キミたち一人20$は、安いだろう?」
「いや、バスで行くから」
オッサンは益々熱心に私たちを口説いた。
「ラクダに乗りたいだろう?一人75LEだ」「明日、ギザ、メンフィス、サッカーラも行く40$のツアーもあるぞ」
最終的に40$のツアーを勧められ断った。初めから個人でバス利用で行くつもりだった。

メトロオールド・カイロに行った。メトロは英語表記で分かりやすく、快適な交通手段だった。女性専用車両もあった。

マル・ギルギス駅直ぐ横に、聖ジョージ教会があった。欧米系の団体観光客がいた。内装は木造で、ステンドグラスに彩られた美しい教会だった。コプト博物館は工事中で閉館していた。オールド・カイロは静かで、石造りの路地を進むと、小さな教会がいくつもあった。カイロ中心地の騒々しさに疲れたので、久しぶりに落ち着くことが出来た。シナゴーグの入り口では警備員が警戒していた。

人の少ないオールド・カイロが気に入ったので、フスタート(廃墟)も見学することにした。そこは本当にただの廃墟だった。何にも無い、ゴミだらけの荒地と砂山だった。ここの商店でアイスを3LEで買った。(本当は1LE)

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