![]() |
エジプト・アラブ共和国 |
|
旅のルート |
|
カイロ〜最初の出会いは、心優しきエジプト美人6/1当初はルフトハンザの予定だったが、オーバーブッキングの為、アリタリアでローマからエジプト入りした。飛行機の窓からは、熱い空気がゆらゆら立ち上る砂漠しか見えなかった。空港でビザは簡単に取れる。入国審査で日本人の自分が少し待たされたのが意外だった。 とりあえず、空港向かいの駐車場に行った。その向こうは砂漠だ。案内看板も無い。警察に聞いて、やっとバス乗り場らしき、藁葺き屋根付木のベンチに数人いるのを見つけた。その中で、白いブラウスに膝丈のグレーのスカート、ウエーブのかかった黒髪を後ろに束ねた、目も覚めるようなエジプト美人がいた。今でも彼女の顔はよく覚えている。背の高いネクタイ姿のビジネスマン風のエジプト男性と談笑していた。お似合いの美男美女カップルだった。迷わず彼女たちに市内行きバス乗り場はここで正しいのか尋ねた。
カイロ〜まずは酒屋探しから!親切な人々のおかげで、無事タフリールのバスターミナルに着くことができた。
エジプト初心者なので、とりあえず交通至便なタフリール広場近くのサン・ホテルに行ってみた。 イスラム圏でも酒屋は存在する。早速ビールを買いに街に出た。 |
|
カイロ〜暴走車、ロバ、バイク、エジプシャン、バクシーシ!喧騒の街に突っ込め!6/2カイロに来てまず最初に、経費削減対策として国際学生証を作る必要があった。以前ブダペストの旅行代理店で作成したことがあるが、ここカイロでも簡単に手に入れることが出来るらしかった。 タクシーで学生証を作成する協会みたいなところに着いた。書類に必要事項を書き、パスポートを見せ、写真1枚提出して60.50エジプシャンバウンド(以下pt)で手に入れることができた。名簿には韓国人、ポーランド人、アメリカ人など各国の旅行者の名前が記入してあった。皆考えることは同じである。 宿に入る前に、タカシは当然”バクシーシ(喜捨)”を要求してきた。初めてのバクシーシ攻撃だった。とりあえず、案内代として1pt渡した。「もっとくれよ」と手を出すタカシ。 徒歩でアブディーン宮殿へ。カイロでは至る所で白い制服の警察が警備していた。コシャリ屋を見つけたので入る。当たり外れの無い安くて美味い食物として、エジプト滞在中は1日1食コシャリを食った。 ハーン・ハリーリのあるイスラーム地区へ向かう。当然だが、かなり暑い。暑いから、数十分の距離が数時間に感じられた。生ジュース屋でマンゴージュースを飲んで休憩。大2pt。生ジュース屋はどこにでもあり、ちょっとした休憩には最適の場である。マンゴージュースは病み付きになった。 イスラーム芸術美術館は工事で閉館だった。途中電気街があり、そこはなぜか笑えるくらいに大勢の男、男、野郎の巣窟だった。女性の姿は見当たらない。TVで見た、イスラム圏の映像そのままだった。 たどり着くまでに、数回大通りを渡らなければならなかった。交通ルールなど存在しない。渡るというより、車を避けながら突っ込むのである。1台避けて、また1台避けて、バスがいきなり止まるわ(乗る人が手を上げたら止まる)、ロバ車がくるわで、慣れないうちは大変だった。 アズハル通りを進むと、歩道橋が見えた。手前の縞模様のスルタン・ゴーリーのマドラサに入った。靴を脱ぐと、係員がいた。中は涼しく、礼拝中の人もいた。マドラサを出るとき、当然のように彼は”バクシーシ”を要求した。英語で詳しく説明されたわけでもなかったので、”0.40pt”出した。彼はそれを見ると「No,Thank you」と、苦笑して断った。馬鹿にされていると思ったのだろうか?あの苦笑は、そういう意味に感じられた。自分が失礼な事をしたような気分になって、マドラサを出た。 外に出ると、”自称ガイド”が私を待ち構えていた。 眼鏡の若い男だった。「ジャパン!タダでガイドしますぜ〜!!」断っても、目の前をチョロチョロ、勝手に案内をし始める。ウゼえなあ〜! ガーマ・アブル・ダハブには、沢山の参拝者がいた。その時観光客がいなかったので、そこには近寄りがたい雰囲気があった。向かいのガーマ・アズハルも、そうだった。勉強をしている人もたくさんいた。 クレオパトラ〜タバコ売りの少年ホセイン広場に面したカフェで、ネスカフェを注文した。商品名ではない。カフェのメニュー名である。 出てきたのはインスタントコーヒー(ネスカフェ?)の粉を湯に溶いて牛乳を注いだ、コーヒーともカフェオレとも分類できない、コーヒーの香りも無い、味の薄い生温かい飲料だった。 ハーン・ハリーリを一通り見学。特に欲しいものは無かった。ここでもエジプト商人たちは熱かった。壮絶な客引き合戦が繰り広げられる。白人のおばちゃんの腕を引っ張りながら、道行く観光客に声をかける。ところどころで水を飲みながら休憩し、歩いて宿に戻った。 オールド・カイロ〜イスラームの中のキリスト社会6/3朝、フロントで日本人の青年に会った。ピラミッドに行ったのか聞かれたので、「明日バスで行く予定だ」と答えると、それを聞いたオーナーの一人(と言っていた)でこのサン・ホテルのガイド兼運転手のオッサンが「二人だったらオレが車で案内するぜ、1日チャーター一人20$だ」と言った。20$は高すぎた。自分でバスで行ったほうが絶対安い。断ると「いいから座って座って、フレンド」。彼と二人でソファーに座らされた。 メトロでオールド・カイロに行った。メトロは英語表記で分かりやすく、快適な交通手段だった。女性専用車両もあった。 |
|
,<<BACK スイス | NEXT ギザのプラミッド、スフインクス>> |