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Ceska Republika
チェコ共和国
チェコは絶対今回再び訪れたかった国の一つである。EU参加し、西欧並みの物価になるオイロ導入前に私は1ヶ月かけてチェコを極めなければならなかった。
2年前に滞在した街もだいぶ都会になったりして変わっていたし、物価も上昇していたが、この国の持つ美しさと快適に旅出来る事、そして感動モノのビールの美味さは一生変わらないだろう。
旅のルートポーランド→チェコ・オストラヴァ→オモロウツ、ボウゾフ→クロメリツ→ブルノ→ミクロフ、レドニツェ
→ズノイモ→テルチ→フラデツ・クラーロヴェー、ターボル、チェスケー・ブジェヨヴィツェ→ベネショフ、コノピシュチィ→プラハ、カルルシュテイン、チェスキー・シュテンベルク→マリアンスケ・ラズーニェ→ロケト→リトムニェジツェ、テレジーン→デチーン→ドイツ
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ポーランド→オストラヴァ〜チェコ入国!宿探しに苦労…そして待望のチェコビール
2004/8/28
北モラビア地方オストラバに到着したのは夕方だった。念のため駅のインフォメーションで宿の紹介が可能か尋ねると、ここは切符手配のみで街中のインフォメーションを教えてくれた。もうすぐ閉店時間なので私はインフォに行くのを止めて、ロンプラ掲載のホステルに直接向かった。駅前に街の地図があったので手帳におおまかに地図を書き写した。
駅の人の助言を聞かなかったために、後にアホな私は宿探しにとても苦労する事になるのである。
かなり歩いてホステルのある住宅街に着いた。街路樹は色づき始め、秋が訪れていた。広い公園とテニスコートがあり、皆がスポーツを楽しんでいる。そこを通り過ぎて、その住所〜12番地〜にホステルは無かった。12番地自体が存在していなかった。そこは最近完成したような緑地帯で、近くに荒れ果てた空き家があった。それは元ホステルの残骸に見えた。ガイドブックの情報は時には非常に遅れているし、間違いも多い。ロンプラは地図は正確な方だし、一般化してしまった歩き方よりも安宿情報が多く、結構信頼していたのでショックだった。時は夕暮れ、インフォはもうとっくに閉まっている。
周りに誰もいないので、聞く人もいない。困った。来るときに見つけたゲーセンは24時間営業だろうか?公園のベンチは?
など考えながらとりあえず人を探した。公園のベンチにお婆さんと少女がいたので、ダメもとでロンプラの住所を指差して聞いてみた。2人の会話は多分こうだ。
お婆さん「この旅の人は、泊まるところを探しているようだよ」
少女「困ってるみたいね。××さんの所を教えてあげようかしら?行ってくるわ」
12歳くらいの少女は立ち上がった。「アタシについて来て」
ホステルがあるはずの場所近くの民家に彼女は私を案内してくれた。
私「プライベートルーム?ありがとう!!バイバイ!!」
少女は笑顔で手を振って、お婆さんの所に戻った。チャイムを押すと、美人マダムが出てきた。彼女は英語が話せなかったが、ドイツ語はペラペラだった。「Privat Zimmer」の看板も出ていなかったので、あの少女に教えてもらわなかったら絶対この宿の存在は分からなかっただろう。
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まず応接間に通され、コーヒーを飲んだ。内装は落ち着きがあって高価そうな調度品、剥製、絵画、置物が並んでいる。
今まで宿泊したプライベートルームの中でダントツ高級だ。見せてもらった部屋も豪華で宿代は800kc(約33$)とかなり高かったが、バス・トイレ・TV・朝食付でこの部屋では納得できる値段だった。2日間連続の夜行生活、夕方までに宿が見つからない精神的・肉体的疲労、ポーランドでの緊張で私は疲れ果てていたので高級宿に泊まる贅沢も許せた。
チェックインして夕食とビールを買いに行った。 駅前の中華ブッフェでテイクアウトし、先ほど見つけた立ち飲み屋でビールを3本購入した。待望のチェコビール!生ビールには敵わないが、瓶ビールでも感動感涙モノだ。一気飲み! 2004/8/29
朝、ダイニングにはすでに先客が朝食をとっていた。フレンドリーな彼らはオーストラリア人夫婦2組で、教師だった。高級な宿に似合う客だな、と思った。朝食も豪華でお上品で美味かった。
私が出て行くとき、マダムはドイツ語で何か言った。もしかして延泊を勧められたのかと思って、私はとりあえず「Nine,Danke(No,Thank you)」と言ってみた。
するとマダムはいきなり美しい顔を歪めて涙ぐんだ。「えッ?!どうしたんですか?!」「Moment」マダムは独英辞書を持ってきて、ある単語を指差した。そこに書かれていた単語は、私には想像すら出来なかった言葉だった。
「friend」
彼女は自分を指差し、次に私を指差して言った。「Friend!!」と…
「…Ja!!Danke!!Schoen!!(Yes,Thanks,Wonderful)」必死で知っている2,3のドイツ語で私は応じた。彼女は私の手を取って微笑んだ。嬉しいというより、驚きだった。凄く純粋な女性だな、と思った。もう一生私達が会うことは無いだろう。しかし、まさしく一期一会。忘れられない想い出の中の一つである。
オモロウツ〜駅前の変化に驚き!懐かしの街 列車を乗り間違え、予定より2時間遅れでオモロウツに着いた。3年ぶりのオモロウツ、駅前は大分変わって大きなビルが建ち近代化していた。現在も道路工事中だ。記憶を辿って旧市街へ歩く。駅前から真っ直ぐ大通りを行けばインフォメーションのある旧市街に入るはずだ。
途中にロンプラ掲載の安宿があるはずだったが、潰れていた…
旧市街中央広場のインフォで宿りストをもらい、安宿探し。駅近くのStudent Hostelに788円で泊まれた。客は殆どおらず、静かでキレイ。今日は日曜なので店も休みで街も静かだ。大型スーパーが開いていたので早速ビールと食料を買いこんだ。
オモロウツは都会であるが騒々しくは無いので、私は好きな街である。
オモロウツ〜マジック!?泡から生ビールのスーパーテクニック
2004/8/30
今日は月曜日なので観光施設は休みだ。バスターミナルの確認、両替、日用品の買い出しなど必要なことを済ませた。オモロウツバスターミナルは駅から離れていて、探すのに苦労した。駅から高架を歩いていったのだが、工場の敷地に入ったり、住宅街で迷ったりして、人に教えてもらわなかったらたどり着くことは困難だった。オモロウツ郊外は工場や会社が多く、また違う一面を知った。
その後旧市街へ。39Kcショップ発見!ブッフェでチェコ料理の定食と生ビールを頼んだ。先にドリンクカウンターでビールを受け取る。数え切れないくらいチェコでビールを飲んできたが、この時の店員のテクニックには感動した。細長いビールグラスというよりカクテルグラスのようなグラスに、一気にビールを注ぎ込む。滑らかなクリーム状の泡がグラスから溢れんばかりだ。そしてテーブルの上で静止。するとどうだろう、クリーム色の泡が下から上へと黄金色の輝く液体に変化したではないか!これはまさしくマジック!泡とビールのベストな配分。
チェコのビールは世界一である。多くの人が絶賛する。コーヒーより安いのである。これはビールの域を超えた飲み物である。水が違うのだ。いや、全てが違った。クリアーという表現がぴったり。ミネラル感覚でゴクゴク喉に流し込む。
駅やバスターミナルのブッフェやパブでは気軽に生ビールが格安で飲める。立ち飲みスタイルでモーニングコーヒーではなくモーニングビールだ。グラスのデポジットが徴収されるが、グラスを返すと戻ってくる。明日からまた飲みまくらなければ。
ボウゾフ〜童話の世界!森のお城
2004/8/31
バスでBOUZOV城へ日帰り。郊外を走り、村で何度も停車し、丘を上り下り、広大な畑に囲まれた森の中の城が見えたときは感動した。
下車して坂を登る。小さい静かな村だ。観光客は地元の人ばかりで、チェコ語ツアーのみだった。城の内部は全て木造で温かみがあり、木目や装飾が美しく森の城らしかった。
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クロメリツ、ブルノ〜クロメリツ城、ブルノ再び
2004/9/1
クロメリツは城しか見所が無く、車が多い都会だったので期待外れであった。城はお城というより、豪華な館に見えた。白い壁が上品で、歴史のある調度品も見事だった。その中でも大きな地球儀が印象的である。
そしてブルノに向かった。移動中のバス車内で私はワクワクしていた。2年前ブルノの親切なインフォメーションで、郊外のプライベートルームを250Kcで紹介された。豪華な1軒家を独り占めした。広い裏庭で遊んだり、オーナー老夫婦が仲良くて微笑ましくて、一緒に犬に餌をあげたり、カタコトの独語でコミュニケーションをとったり、そこでの滞在がとても楽しかったのでまたそこに泊まれるのではないかと期待した。
ブルノの街はそんなに変わってはいなかった。見覚えのあるスーパーの下から上に上がると街中に出る。インフォメーションも当時のままだ。早速「プライベートルームを紹介してください」と申し出た。
インフォのおばさんは人目私を見て言った「あなた学生さんね?StudentHostelがあるわよ」
彼女はしきりにStudentHostelを勧める「プライベートルームは高いわよ」
もう今は、250Kcの気持ちの良いプライベートルームはここには存在しないのだろう。確かに東欧の物価上昇は著しい。昔地図を書いて、丁寧に行き方を教えてくれた親切なスタッフも…今は。
結局StudentHostelに宿泊した。立地条件も良く、新しいキレイな建物。260Kcシャワートイレ、TV付シングル、共同キッチンはありがたかった。宿泊者の気配が無く、この設備で経営が大丈夫なのか心配になった。
ミクロフ〜これぞ!求めていた美しい街
2004/9/2
ミクロフは私が求めていた美しい田舎街だった。ロケーション抜群の丘の上に城、教会が建ち、それを取り囲む赤い屋根の家々。インフォメーションも親切でBILLAスーパーもあり、過ごしやすい田舎街である。ここは来るべき街だった。
城の中はただの民族資料館だった。街郊外の丘から見る風景は溜息ものだ。ここはオススメの田舎である。
紹介されたJolaPensionはベルを押しても応答が無く、3回無人だったので別の宿を紹介してもらおうとインフォに戻りかけたとき犬を連れたおばさんオーナーが買い物から帰ってきた。おっとりした憎めないおばさんだった。
シナゴーグでアンネ展をしていた。ポーランドから来たので、思うものが大きかった。
レドニツェ〜豪華絢爛白亜の城館
2004/9/3
レドニツェ城は今回訪れた欧州の城の中で、外見、内装共に1であった。ゴシック様式(?)の上品な白亜の装飾が見事な建築、部屋は木造の豪華絢爛時代絵巻であった。壁紙の手書き模様、調度品、カーテンまでもいたるところに金がかかっており、中世の世界に引きずりこまれた。
広大な庭園には川が曲線を描き、湖には鴨や白鳥が、森にはリスや野ネズミが生息していた。トルコ風ミナレットからは緑に囲まれた城が見えた。ここは本当に来る価値があった。イチオシの城である!!
道中のバスから見える景色も美しく、丘の上に佇む湖上、湖、葡萄畑…チェコの田舎は美しい。
城の周りには手入れされた庭園が
あちこちでリスが生息
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ズノイモ〜絶景のロケーションとチェコビールで至福の時を
2004/9/4-5
Znojmoと書いて「ズノイモ」と読む。HPを作るまでずっと「ズノジョーモ(そのままローマ字読み)」だと思っていた。
この街に関しては、何の情報も無かった。ロンプラの扱いも小さく、中心街の地図しか無い。なので何の期待もしていなかった。駅から旧市街までカンでたどり着いた。ここまでくると自分のカンも凄いもんじゃ!と感動しながらインフォメーションへ。215kcのペンションを紹介してもらった。
この宿のロケーションで、この街の価値は決まった。小さなこじんまりしたペンションで、1階がカフェで民芸調インテリアがお洒落だ。最上階にキッチン、リビングがあり、ランプやストーブ、剥製がいい雰囲気だ。横のテラスに出た。そこから見えた景色の、なんと素晴らしかったことか!
大きな川が流れ、遠くに鉄橋が見える。大きな館があって緑の背景に小さな屋根の村々、畑、、、街が丘になっていて、この宿はその最上に位置していた。 |
そして街へ。地下通路やロトンダを見学。地下通路ではガイドが冗談で電気を消したりしたので、チビッコが喜んだ。ロトンダの壁画は見事で、英語のガイドテープが聞けた。
私の部屋は屋根裏の小部屋で窓からは大きな教会が見えた。来て見なければ分からないものだ。テラスからの風景が気に入ったので、週末はここで寛ぐことにした。テラスから見える美しい風景をツマミにビールを飲むのは最高だった。街の印象は、地形にもよるなあ、とつくづく思った。
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テルチ〜チェコの大地でハイキング 2004/9/6
今日も秋晴れ、快晴で日差しが強い。畑の麦も収穫され、円筒状になった藁束がそこらじゅうに転がっていた。テルチ(Telc)の街は中央広場を取り囲む個性的な美しい民家で有名だった。同じような家は無く、壁画や装飾が細かい。ほとんどが土産物屋やカフェ、レストランだ。
私が宿泊したのは街はずれの安ホテルだったが、街を囲む湖の辺を歩いたり、林檎を収穫したりと街中には無い楽しみを見つけた。

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フラデツ・クラーロヴェー、ターボル、チェスケー・ブジェヨヴィツェ〜緊急事態!宿求めて大移動
2004/9/7
Hradec Kralove(フラデツ・クラーロヴェー)へバスで行った。宿が無く、インフォメーションはチェコには珍しく不親切だった。街外れのプライヴェートルームをあたるが、ツインルームしかなく一人では割高だったのでやめた。とりあえず教会などを見学しながら城へ。ガイドツアーのみで14:00〜だという。城のほかに見所は無い気がしたので、次の目的地Tabor(ターボル)に移動。
街は慌しい雰囲気だった。外灯や案内看板を直していたり、広場で何やら建てている。嫌な予感がした。
予感的中!!インフォメーションによると街は明日開催される祭りの準備で大忙し、当然宿は満室だった。ガックリである。そろそろ宿を決めないといけない。ここのインフォメーションは全員若い女の子だった。彼女達は皆親切で私の事を心配してくれた。「待ってて、プライベートルームを探すわ」
そして、1軒のプライベートルームを探してくれた。「ここは今までインフォメーションで予約したことは無いんだけど、街中のプライベートルームよ。でも電話に誰も出ないんです。しばらくしてから、直接行ってみてください」
しかしその家は無人で、前で待っていても家人は帰ってこなかった。
ここで、待ち続けるか?それとも祭りの影響が無い街に移動すべきか?どこに行けばいい?
広い国なら夜行という手段がある。しかしチェコは小さな国だ。今はその方法は使えない。
私はCeske Budejovice(チェスケー・ブジェヨヴィツェ)のプライベートルームの存在を思い出した。2年前、若者向け旅行代理店CKMで斡旋された、優しいお婆さんのプライベートルーム…裏庭のさくらんぼの木とブランコも鮮明に記憶に残っていた。CKMの親切な青年は銀行まで両替に連れて行ってくれたなあ…バスターミナルで毎朝30円でビールを立ち飲みして、歴史博物館の人も、商店のおじさんも親切やったな…オシャレなレストランは安くて大量やったし…
バスは時間がかかるので、電車で思い出のチェスキー・ブジェヨヴィツェに行くことに決定!!
駅前は、あの頃のままだった。記憶を辿り例の旅行代理店CKMへ。外観が少し変わって新しくなった気がした。入ると眼鏡の女性が一人いた。あの青年の姿は無かった。
「プライベートルームを紹介してくれませんか?」
しかし、現在ここでは宿の斡旋はしていなかった。ショックを受けているヒマは無い。走って閉店間際の街のインフォメーションへ駆け込んだ。インフォで350kcのペンションを予約してもらった。オーナーは今から買い物に出かけるので、6時ごろ来て欲しいとのことだった。やっと今夜のベッドを手に入れたので、ひと安心だった。
街をフラフラして、指定の6時にペンションのある場所に行った。が、オーナーはまだ帰宅していなかった。チャイムを押しても誰も出ない。おじさんが話しかけてきた。
「ペンションを探しているのかね?ウチはそこだよ、部屋を見せよう」
おじさんの宿は予約した宿の向かいだった。値段は同じ、部屋は広くてキレイだ。疲れたし、日も暮れてきたので予約した宿に悪いが、おじさんの宿に泊まることにした。
2年前泊まったお婆さんのプライベートルームの事を懐かしみながら、ビールを飲んだ。まだ、あそこはあるのだろうか…
ベネショフ、コノピシュチィ城〜狩りの城。剥製コレクションに圧倒!
2004/9/8
Benesovベネショフは普通の街だった。見所は特に無し。中心地は高級ホテルばかりなので、インフォでもらったチラシにあるプライベートルームへ。しかし無人。ペンションはつぶれていた。次にロンプラに掲載されている郊外の安ホテルへ。そこは体育館やテニスコートに併設されたホテルだった。フロントには誰もおらず、建物の半分は改装工事中だった。レストランは満員で、団体の貸しきり状態のようだった。 仕方なく、コノピシュチィ城ふもとのロッジ風ホテル500kcに泊まることにした。
さすがにプラハから日帰り可能な有名観光地、日本人ツアー客の姿もあった。
コノピシュチィ城はガイドツアーで回る。ツアーは3種類あり、私は剥製コレクションメインにした。
内装よりも、剥製と銃器のコレクションは圧倒だった。壁を埋め尽くす鹿の角、鳥の羽、山羊の首。誰が住んでいたのかは知らないが、城主は相当な狩りマニアだったようだ。
城には大きな熊が飼われていた。広い庭園を歩くとリス、野ネズミに出会った。湖から見上げた城が一番雰囲気があって美しかった。絵葉書を購入。
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プラハ、カルルシュテイン城〜ツーリスティック、でも美しい! 2004/9/9
首都Prahaプラハ到着。ALFAエージェントのおばさんは陽気で親切だった。Student Hostelを別々に2泊ドミで2泊シングルで予約してもらった。
プラハは見所が集まっているのでほとんど徒歩で行動できる。旅人で「プラハはツーリスティック過ぎて好きになれない」という人が結構いる(KEN氏、TAKAさんも言っていた)が、私は好きな街の一つだ。確かに物価は高いし、観光客だらけ。しかし、世界中からの多くの観光客を魅了するのが十分理解できる。それほど美しいし、建築や雰囲気は私のシュミだ。プラハという名前もカッコイイ。
田舎巡りの後なので、プラハ=メジャーに来た!という感じだった。
チェクインを済ませて、電車でカルルシュテイン城に行った。土産物屋が並ぶ通りを歩くと、山の上に建つ城が見えてきた。超メジャーなので観光客も多い、入場料は高い。城内はショボかった。しかし、遠くから見る城は美しかった。写真撮影にいい場所を探していると、民家の間に教会へ登る階段を見つけた。人気の無い墓地を通り、小道を歩くと、余計なものが入らずに城が良く見える場所に出た。
 
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チェスキー・シュテンベルク城〜ローカル電車で往復8時間、個性的な城 2004/9/10
チェスキー・シュテンベルク城に行くのにはローカル電車を乗り継いで往復8時間を要した。鈍行列車に揺られて旅をするのが大好きな私はマイナーな駅に停まったり、美しい景色を発見するのが楽しいのでそれは苦痛では無かった。
ロンプラには「ドラキュラが出そうなお城」と書かれていたが、暗くも妖しくも無く、丘の上にそびえ建つ立派で爽やかな城だった。
チェコ語のガイドツアーに参加したので、説明は当然何も分からなかった。内装は今まで見た城には無い個性があった。
中庭にはる鷲や鷹が飼われていた。
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城から見た川対岸
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プラハ〜韓国人女子と懐かしのプラハ散策
2004/9/11
朝偶然に韓国人の女性と知り合った。彼女の名前はHeeran。今イギリスの語学学校に留学中で、休暇でプラハに旅行に来ていた。
私は2年前のチェコ旅行でプラハ市内はほとんど観光し尽していたので、今日は彼女と一緒にプラハ散策することにした。Heeran撮影&爆笑。SEX SHOPにて。
マーケットに行ったり、店を冷やかしたり、時計塔を見たり、川沿いのカフェでビールを飲み、色んなことを話した。私の怪しい言動は彼女に非常に受けた。それが妙に嬉しかった。
まず韓国では、一人で旅をすることは考えられないそうだ。
兄弟や友達が一緒なのが普通なのだ。いつも韓国人はなぜか男女混合3人グループが多いので何でやろう、と思っていた。これで謎が解けた。
久しぶりに人と過ごしたので、楽しかった。
プラハの街には面白い牛のオブジェがたくさんある。
なんで牛なんか、意味は分らない…
2004/9/12
バスターミナルの確認、両替など所用を済ませる。大手チェーン展開しているスーパー「Tesco」に行ったが、物によっては日本並みの値段だった。
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マリアンスケ・ラズーニェ〜紳士淑女の高級温泉リゾート! 2004/9/13-14
バスで有名温泉リゾート、Marianske Lazneマリアンスケー・ラズーニェに向かった。まずは宿探し。ロンプラの地図が間違っており、YH探しに街外れをうろついた。 ようやく見つけたYHは、係りの人が昼休みらしく、宿泊者の気配が無かった。確実性が無いので、インフォメーションで350kcのプライベートルームを紹介してもらった。家人が戻るのが6時なので、それまで荷物を背負って観光することにした。
ここは見事に老人ばかりだった。真っ白なスーツを着た洒落た紳士や、金持ちそうな人が多い。若者グループやバックパッカーはいないので、私は場違いだった。でも源泉を巡ったり、スパ・ワッフルを試したり、森林浴したり、リッチな建物もキレイでそれなりに楽しめた。 右:コロナーダ
 プライベートルームは1Kマンション全て貸切だった。コロナーダの源泉は結構クセがあるが、効能がありそうな匂いと味がした。
リスが多い  |
ロケト〜ロケト村物語 2004/9/15
Karlovy Varyカルロイ・ヴァリまでの列車に乗ったが、途中で降ろされてバスに乗り、また列車に乗った。カルロイ・ヴァリで2時間待ち、バスでRoketロケト村へ。川に沿って進むと、城が見えた。
城を中心に民家があって、その周りを川が囲んで村を形成していた。インフォメーションで宿リストをもらい安宿を探していると偶然にHostelを発見した。ベルを押しても誰もでない。諦めて裏のペンションをあたった。呼んでも誰もいない。ドアが開いていたので勝手に中に入ると、さっきのHostelとつながっていた。「すいませ〜ん!誰かいませんかあ〜!」
すると上階から人が降りてきた。「君、どうやって入って来たんだい?(笑)」
人の良さそうな兄ちゃんだった。
ここに宿泊を決めて、早速観光に出かけた。まず、童話の世界そのものの城見学だ。しかし、チョコレート色のカワイイ外観を裏切り、お城の最大の目玉は「拷問博物館」だった。詳細は<TORTURE>へGo!!
村の全景が見たくて、すぐ横の山に登った。獣道のような急斜面を登り、滑りながら大きな岩に上がった。
そこからの見晴らしは最高だった。苦労して登った甲斐があったものだ。村は勿論、その地方全部が見渡せた。
城の下の急斜面にはヤギが飼われていたが、子山羊が数匹逃げ出して街に出ていた。 しかし、橋を渡って村の外には出ないようだ。夕暮れになったらきちんと小屋に帰るのだろう。子山羊が村を自由に飛びまわれる、ロケトはそんな村なのだ。
バスで簡単に来れるが、静かで、落ち着きがあり、観光客も少ない。ずっとこのままでいて欲しい村である。

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 2004/9/16
ロケトの朝の空気は清々しい。玄関でタバコを吸っていると宿泊客に日本語で話しかけられた。昨夜はお互い、日本人じゃないと思っていた。
彼は昼のバスでここを発つのだった。私が城の拷問博物館と牢獄の事を説明すると、彼は見学に行った。 今日は村の周りを散策した。
ここのHostelのオーナーDougは英語がかなり上手かった。のんびりしたいい人で宿代をいつ払ったらいいか聞くと「いつでもいいよ」と言う。さっきの日本人男性とも話したが、仮に宿代払わずに逃げることも出来そうだ(人間として絶対出来ないが!)。宿のコーヒー、紅茶はフリーで、キッチンも無料だった。GuestBookにはDougへのお礼メッセージがたくさん書かれていた。彼の温かい人柄が良く分かった。宿の内装も彼の手造りのようで、アットホームで快適だった。
リトムニェジツェ〜またもや祭りで宿がフル!
2004/9/17
鈍行を乗り継ぎ、リトムニェジツェ(Litomerice)到着。妙に人が多いと思ったら大規模な祭りが開催されるとのことだった。インフォでも当然宿は満室。旅行者らしき若い白人の女の子も私と同じ、困っている様子だ。インフォのおばさんの計らいで、彼女とキャンプ場のバンガローをシェアすることになり、助かった。彼女はオーストラリア人大学生で現在イギリスに留学中、休暇でチェコに旅行に来たのだった。
街は見所は少なく、観光はすぐに終わった。2人でスーパーに夕食を買いに行き、ネットカフェで久々メールチェックをした。
キャンプ場の庭で夕食を食べていると、フランス人の若者が話しかけてきて、3人で食堂でビールを飲んだ。
オージーのDucksは私にアメリカのイラク戦争について、日本人はどう思ってるの?と聞いてきた。
「当然、日本人はブッシュに反対や!」「そう、オーストラリアも同じよ」「僕もだ」
テレジーン〜ナチスの残した傷跡
2004/9/18
私達のバンガローに予約していた客が来たので、テントをレンタルした。
今日は隣村のテレジーン(Terezin)に日帰りで行く。そこは要塞の街。最初牢獄として利用され、第二次世界大戦でナチス・ドイツが強制収容所とした。
橋を渡り、のどかな農道を歩いた。田舎の割には車が多い。今日の祭りに来た人たちだ。
ゴルフ場を通り、ずっと歩くと要塞の一角が見えてきた。中に入ると、蝋燭が点され、墓碑銘などがあった。その近くに広大な墓地があった。
テレジーンの街へ入り、チケットを購入。強制収容所に向かった。黄色い壁の門を抜けると、レンガ作りの家屋が並んでいる。最初に見学したのは、看守などの部屋。当時の家具が展示。
囚人たちの収容されていた部屋は、湿っぽく暗い。浴室や病室も、同様に粗末で衛生的に悪い。
長いトンネルや数々の小部屋、要塞らしい構造である。中庭に絞首刑の台があった。洋ナシの大木が中央に2本ほど生えていて、熟して大量に落ちた実にハエがたかっていたのが何故か印象に残った。
その後展示室などを見学して、街の博物館に行った。
そこには収容されていた子供たちの絵やポエムが展示されていた。
「お母さん、おうちに帰りたい…」
子供達の叫びに、涙が出そうになった。
キャンプ場に戻った。今夜でチェコが最後なので、Ducksにロンプラを譲った。 |
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