クロアチア共和国
クロアチアでKEN氏と別れた。私は北上、彼は船で南イタリアへ渡った。
シーズン真っ只中のアドリア海はどこも観光客でいっぱいだった。物価は高い。
旅のルート
ブダペスト→ザグレブ→ドブロブニク→ザグレブ→ウィーン
ブダペスト→ザグレブ〜鈍行列車の旅
2004/8/9
またまた鈍行列車で刻み作戦でクロアチア首都ザグレブ到着。駅は小さかったが、人が多かった。ひとまず徒歩で中心地へ向かった。街は東欧とはまた違った様式の建築で、どれも新しく、整備されていた。
朝からの移動なので、広場で休憩した。クロアチア情報があまり無かったので本屋でロンプラを探したが、割高だったので買うのを止めて立ち読みした。
レートのよさそうな両替屋を探したり、フラフラしていると夕方になったのでバスターミナルに向かった。
トラムのチケットを購入したとき、その高さに驚いた。ここは全てが西欧並みの物価であった。
私達が最初乗ったトラムはバスターミナルと反対方向だった。何か違う?と思ってきょろきょろしていると親切な紳士が教えてくれた。
ドブロブニク行きの夜行バスのチケットを購入した。腹が減ったのでターミナル内で食堂を探す。レストランは高く、ファーストフードは食う気がしなかった。構内にはSEXSHOPが堂々とあった。興味があるわけでは無いが、その類の店がすぐ目につくのは何故だろう?ターミナルから離れたところに手頃なレストランバーを見つけた。中庭のオープンテラスで食事中、いきなりの大雨に見舞われた。
夜行バスは観光客でほぼ満席、エアコンが効き過ぎてとても寒かった。
ドブロブニク〜宿探しに苦労、プライベートルームの癖のありそうなおばさん
2004/8/10
朝、バスの窓から見えたのはとても美しく不思議な景色〜紺色のアドリア海に浮かぶ丸い緑の小島達だった。私達は右側だった。それは偶然だったが、夜行バスでドブロブニクに行く際は是非右側席に座ることをオススメする!
港や橋、街が見え、ドブロブニクに着いた。まずは今晩の宿探しから。バスターミナルにはプライベートルームの客引きおばさんが数人いたが、値段を聞くとどれも高かった。情報ノートで仕入れた安いプライベートルームをあたってみる事にした。
そこは世界遺産であるドブロブニク旧市街の外にあるはずだった。探してもその住所が見つからなかったので、周辺の家にかたっぱしからチャイムを鳴らして尋ねまくった。だが、そのような家は無いという。
仕方が無いので、旅行会社でプライベートルームの斡旋を頼んだが、どれも破格の値段だった。旧市街内の宿泊は初めから不可能だと分かっていた。「PrivateRoom」の看板を出している家は見当たるが、旧市街の外でも全てが高すぎた。今は夏休みシーズンなのでユースホステルも満室だろう。考えた末、バスターミナルの客引きに再度交渉してみることにした。
ターミナルに行くと、さっきのおばさんが近寄って来た。どうやら今日はまだ客を確保していないようだ。私達は値切りまくった。一人一泊80Knで私は2泊、KEN氏は1泊することに落ち着き、キッチン使用、洗濯OKの許可を得ておばさん宅に案内された。
そこは普通の住宅街だった。どの家も崖に面して建っているので階段を登るのが大変だった。似たようなマンションが並んでいる、どれがどれか見分けが付かない。そのマンション群のワンフロアーの1画がおばさんの家だった。入ると婆さんが出てきた。愛想は悪そうであった。そしておばさんと何やら話した後、奥に引っ込んだ。
おばさんは暑いのか、服を胸まで捲り上げてパタパタと中に風を送り込んだ。ブラジャーが丸見えだ。「人前でよくそんな事できるなあ…」ここで少しおばさんに対して良くないというか、変わった人という印象を持った。それはKEN氏も同じだった。
「キッチンは使っちゃダメだから。洗濯もしないでね」彼女は服を捲くったまま当然だという表情で言った。
「え?おばさんさっきキッチン使用、洗濯もOKって言ったやろ?」「そうや!約束と違う!」
「…分かったわよ、洗濯はOK、でもキッチンは使わないで!」
最初の約束と違ったが、他に泊まる場所が無い私達はそれを承諾しなければいけなかった。
気を取り直して洗濯を済ませて外に出た。
私は半島西のビーチへ、KEN氏は旧市街へ向かった。
ドブロブニク旧市街〜アドリア海と赤い屋根
ビーチでは大勢の観光客が日光浴を楽しんでいた。入り江のビーチは騒々しいので、海沿いを歩いて人気の無い場所を探す。階段を下りて、崖に出た。周りに人はいないので寛げそうだ。平らで大きな岩を確保して、少しぬるくなったビールを飲んだ。
日記を書いたりしていると白髪のマダムが手を振りながら泳いで来た。「Bonjour!!」
緑のビキニがお似合いな可愛いマダムは私の後ろの岩に腰を下ろすと、水着を全部脱いで堂々と昼寝し始めた。無邪気な寝顔だった。
日光に当たって疲れたので、午後から旧市街に行った。
旧市街は、凄い人人人だった。土産物屋やレストラン、カフェが軒を連ねる一大観光地だ。教会や主要な建築物を見学し、街を取り囲む城壁に登った。
街の内部より、上から見た街並みの方が美しかった。色んな形の赤い屋根が、おとぎの国を作っていた。「魔女の宅急便」のモデルとなった街、と情報ノートに書き込みがあったが、その雰囲気はあった。高台から屋根を見ているのは飽きない。どの家の飾り窓や煙突も様々である。
向こうに見える紺色のアドリア海に赤い屋根が映えて、世界遺産というのにも十分納得できた。
KEN氏はあまりにも観光地化されすぎていて興醒めした、と。旧市街の中は普通の街ではなく完全に観光の為の街だった。私も同感だった。しかしツーリスティックになってしまうのは仕方が無い。
ドブロブニク〜プライベートルームのMADおばさん前編
2004/8/11
朝、私は起きたがまだベッドの中にいた。ドアが開く気配がしたので薄目で寝たフリをした。信じられない事に家主のおばさんがドアを開け、私達を見てまたドアを閉めた。
客が部屋にいるのに、無断でドアを開けるとは一体どういう神経なのだろう。昨夜ポテトとパンケーキの夜食をくれたので、それでキッチン使用不可にされた事は許した。しかし、今の行動は…
KEN氏が起きたので、今起こった非常識な出来事を報告した。私達の話し声を聞きつけておばさんがノックもせずにドアを開けた。そして「今夜はこの部屋に客が来るから、あなたたちは別の宿に行ってちょうだい」と言った。私達を客と思っていない態度だった。
「え?!私は2泊の予定と言いましたよ?!」
「別の客が来るのよ、ユースホステルがあるからそこに行ったら?」
何を言っても通用しないし、そこまでしてこのプライベートルームに泊まる価値も無いので、私はすぐにユースホステルに予約に行った。案の定満室だった。
私は夜行でザクレブに戻ることにした。クロアチアは物価が高いし、ドブロブニクとアドリア海を見たからこれで十分だった。KEN氏も今夜の船で南イタリアに渡る。
夜まで荷物を預かってもらう約束をして、私達は旧市街で海水浴をする事にした。
アドリア海〜城壁ビーチ
 2004/8/11
浜や岩場では無く、城壁の側で海水浴をするのは面白い体験だった。
海水は冷たかったが、水はキレイだった。冷水シャワー、水道もある向こう側に見える島は、ヌーディストビーチらしい。
行こうかと思ったが、フェリー代が高そうなのでやめた。
夕方までゆっくり海水浴を楽しんだ。
ドブロブニク〜プライベートルームのMADおばさん後編
それぞれの出発時刻まで時間があるので、一旦プライベートルームに戻ってシャワーを浴びる事にした。
旅では少なからず不快な目にも遭ってしまう。クロアチア最後でそれは起こった。
部屋に戻るとおばさんが出てきて「今すぐ荷物を持って出て行って」と言った。今朝、夜まで荷物を預かる約束をしたにもかかわらず。私達が反論するとおばさんはキレた。
「いいから出て行って!今すぐに!」
「オバハン、頭オカシイわ!狂ってる!」KEN氏もキレた。
「何ですって?私が狂ってるって?」おばさんはヒステリックに彼にくってかかった。目の焦点が定まっていなくて、ある意味私は恐怖を感じた。この手の女は苦手だ。そして、 とうとうKEN氏の怒りが爆発した。
「お前はいつも言う事がころころ変わる!さっきはYes、次の瞬間No、頭おかしいとしか言えんわ!!」
「よくそんな事言えるわね!親切にしてもらっておきながら!宿代も負けたし、昨日の夜食べ物をあげたじゃないの!あんたこそ狂ってるわよ!!」
2人の言い合いを聞きつけて、奥からオッサンが出てきた。おばさんから事を聞くとオッサンは比較的冷静に言った。「荷物を預かることは出来ない。今すぐ出て行ってくれ」
こいつは何者だろう?私は聞いた「オッサン、どっから来た?」「イタリアだ。彼女の親類だよ」
おばさんはわめきながら奥に引っ込んだ。言いたいことは言った。くだらない争いはお終い!後は荷物をまとめてここを出るだけだ。
先に荷物をまとめた私は壁にもたれてKEN氏を待っていた。するとイタリアのオッサンがやってきて、ワケの分からない事を言い出した。「キミ達は彼女に対して狂ってるとか、失礼な事を言ったね?」もう、済んだ話だ。
くどくど説教くさい言い方で、彼は私達を責めた。
「(日本語で)…オッサン、もういいやろ?止めとけや…?」
それまで黙っていた私が、低い声を出したのでオッサンは驚いた。「…?」床で服を畳んでいたKEN氏も顔を上げて私を見上げた。
日本語でも、怒りの迫力は十分伝わる。「だから、もういいやろ?オッサン?消えてくれ!」
横目で睨むと再びオッサンは文句を言い出した。「キミ達はどーのこーの」…。
イタリア訛りの下手な英語に対抗して、私も今度は日本語訛りの怪しい英語で言い返す。
「お前何歳?いい年しやがって、幼稚なヤツやな!お前の子供ぐらいの歳のヤツによう喧嘩売れるなあ?F××K野郎!」
このとき自分がオッサンに言った言葉を今でも覚えている。それほどまでにムカついたからだ。
「×××」
「はぁ?今何て言った?」
「イタリア語でF××Kと言う意味だ」
KEN氏「…覚えとくわ!」
私「オッサン×××やなあ!×××!」
「…どうやらキミ達は、警察に通報されたいらしいな」
やっとオッサンは捨て台詞を残して消えてくれた。
外に出ると、私達はとりあえずタバコに火を点けた。
「最初から少し思ったけど、あいつら、(自分らが)アジア人やから差別したんじゃないか?」
「…私も思ってたよ。そうやろうな。ムカついたな!Sさんもキレてたよな(笑)」
そして彼は、私がキレた時はビビッたよ、と笑った。
バスターミナルに荷物を預け、スーパーで食料を調達してビールを飲んだ。
夜になり、KEN氏の出航時間が近づいた。
「気いつけてや、いろいろありがとう!」最後に握手をして、バスターミナルで別れた。
あの日カッパドキアで知り合ったのも、旅する方角が一緒だったのも、何かの縁だった。殆ど一人旅が主流の私だが、人と別れるのはやはりいつでも寂しいものである。
|