バックパッカー一人旅〜海外旅行記と旅情報

カンボジア

カンボジア【アンコール遺跡シェムリアップ、地雷博物館】

アンコール遺跡・三日目〜プノン・バケン山の日の出

朝5時半。バイタクはまだ来ていない。結局彼は約束の時間に15分遅れてやって来た。
プノン・バケン山に登ると、昨夜一緒に夕飯に言った青年と数人の家族連れがいた。
苦労して登った甲斐あって、眺めは最高だ。朝なので涼しく、気分も爽快である。
アンコールワットは?」
「あれですよ」
遠くに、アンコールワットが見えた。森の中に3つの祠が見える。他の遺跡は見えなかった。アンコールワット巨大さを改めて実感した。左:黄色の気球、カンボジアの赤土大地も見えた。 右:アンコールワット発見!

カンボジア【アンコール遺跡プノン・バケン】カンボジア【アンコール遺跡プノン・バケン】

神殿のような珍しい建築プリア・カン

ブリア・カンは物凄く規模の大きい寺院だった。厚い茶色の壁に囲まれた内部は長い回廊が続く。奥まで進むと、ここらへんの遺跡には珍しい神殿のような建築物があった。

左:入り口に並ぶガルーダの彫刻 右:祠に彫られた美しい彫刻カンボジア【アンコール遺跡プリア・カン】カンボジア【アンコール遺跡プリア・カン】

カンボジア【アンコール遺跡プリア・カン】
神殿のような建物
カンボジア【アンコール遺跡プリア・カン】
崩壊
カンボジア【アンコール遺跡プリア・カン】
テラスの廊下

破壊した寺院…タ・ソム

カンボジア【アンコール遺跡タ・ソム】この寺院も、木の根に侵略されていた。破壊が進み荒れ放題の小さな寺院であるが、静寂に包まれた寺院は森の中にひっそりと佇み、非常に趣があった。
右:東側から見た寺院

カンボジア【アンコール遺跡タ・ソム】
木の根に覆われた東塔門
カンボジア【アンコール遺跡タ・ソム】
崩壊が進む
カンボジア【アンコール遺跡タ・ソム】
あらゆる所に木が侵入

聖なる池、ニャック・ボアン

カンボジア【アンコール遺跡ニャック・ボアン】
西の池
カンボジア【アンコール遺跡ニャック・ボアン】
この中に蛇口がある
カンボジア【アンコール遺跡ニャック・ボアン】
水が出てくる口
カンボジア【アンコール遺跡ニャック・ボアン】
中央池の祠手前ヴァラーハ像
カンボジア【アンコール遺跡ニャック・ボアン】
中央池の祠
カンボジア【アンコール遺跡ニャック・ボアン】
中央池の祠

蟻塚とチビッコ

ニャック・ボアンから戻る道で、奇妙な物を発見した。蟻塚である。よく見ると道の両脇にたくさんの蟻塚があった。ガイドブックか何かに、「カンボジア人にとって蟻塚は大切な存在だ」という意味のことが書いてあったのを思い出した。
道に土産屋台があり、そこの子供が蟻塚を観察する私の周りに集まってきた。携帯のカメラで写真を撮って、画像を見せると喜んだ。

【蟻塚観察記録】ケーターイギャラリー

カンボジア【アンコール遺跡ニャック・ボアン】
ニャック・ボアンへ続く道
カンボジア【アンコール遺跡ニャック・ボアン】
土産物屋の子供
カンボジア【アンコール遺跡ニャック・ボアン付近の蟻塚】
蟻塚

工事中〜チャウ・サイ・デボーダ

カンボジア【アンコール遺跡チャウ・サイ・デボーダ】遺跡は工事中だが、付近の土産物屋は営業中だった。
布を持った子供が「イチドル、イチドル」、ペットボトルを掲げて「ミズ、イチドル」。
アンコール遺跡の売り子には大概日本語で話し掛けられた。皆商売熱心だが、しつこくはなかった。

屋台でラーメンを食べた。やはり麺はインスタント。味もそうだった。これで1ドルとは。
メニューには高い値段が設定してあるらしく、2ドルを1ドルにまけてくれた。
暑くて水ばかり飲むが、トイレにはほとんど行かなかった。2リットル持参した水はもう無くなりかけていた。

小さな寺院、トマノン

カンボジア【アンコール遺跡トマノン】 カンボジア【アンコール遺跡トマノン】 カンボジア【アンコール遺跡トマノン】

巨大象が四方に立つ〜東メボン

茶色の石で造られた東メボンは、変わった形をしていた。蔵の偽扉は最近作られたように新しく見えた。
暑くて修復中の足場の下でダレていると、上から人の気配がした。見上げると、ポシェットを提げた子供だった。目が大きくて人懐っこそうな、可愛い女の子だった。
彼女は私の隣に座った。携帯で写真を撮らせてもうらうと、ニコニコ笑った。

【東メボン】ケータイギャラリー

カンボジア【アンコール遺跡東メボン】 カンボジア【アンコール遺跡東メボン】 カンボジア【アンコール遺跡東メボン】

壮麗なレリーフ〜バンテアイ・スレイ

カンボジア【アンコール遺跡バンテアイ・スレイ】のどかな郊外を、バイタク兄ちゃんは猛スピードで走る。赤土埃が目に入って、涙を出しながらも私はカンボジアののどかな風景に見入った。牛の放牧、畑仕事をする人達。小学校の下校時間に出くわし、小学生チャリ集団をすり抜けた。
途中の商店で炭酸ジュースを飲んで一服した。普通の村の商店なので、値段も普通だったので観光地に行く前に冷えた水2リットルを仕入れた。リュックにペットボトルを押し込むのが、商店のおばさんに受けた。
そこで、私は日本語で描かれたでかい看板に気づいた。
泰造のお墓→
その時は、彼があの”地雷を踏んだらサヨウナラ”の一ノ瀬泰造氏だとは分からなかった。

カンボジア【アンコール遺跡バンテアイ・スレイ】カンボジア【アンコール遺跡バンテアイ・スレイ】「泰造の墓って、なんや?誰や?」
バイタク君「タイゾー、タイゾー、オハカ、オハカ」
看板を指差して「行く」と言ったが、彼はバンテアイ・スレイに私を連れて行きたくてしょうがなかったので、”泰造さんのお墓”は後で行くことにした。

左:美しいレリーフ
右:バンテアイ・スレイ入り口

カンボジア【アンコール遺跡バンテアイ・スレイ】
経蔵
カンボジア【アンコール遺跡バンテアイ・スレイ】
カンボジア【アンコール遺跡バンテアイ・スレイ】
赤い砂岩の柱

一ノ瀬泰造氏のお墓

カンボジア【アンコール遺跡一ノ瀬泰造氏のお墓】カンボジア【アンコール遺跡一ノ瀬泰造氏のお墓】バイクは村を抜け、砂利道に入り、更に進んで川沿いの小道をひたすら走った。大通りの看板からはかなり距離がある。周りには民家も無く、草と木しかないカンボジアの平原だった。左脇に木の小さな看板(画像左)が見えた。吊橋(画像右)を渡ると、川で水牛を連れた農夫が私を見て大声で誰かを呼んだ。
カンボジアの、何も無い平原にその墓はあった。小屋に展示された資料を見て、やっと私は彼の正体に気が付いた。

地雷を踏んだらサヨウナラ

墓守のおじさんが、たくさんの資料やTシャツを風呂敷に入れて持ってきてくれた。さっき農夫が呼んだのは、彼だったのである。墓はきれいに掃除され、たくさんの線香や線香代わりのタバコがお供えしてあった。タバコに火を点け、お参りした。
ここに来たのは、偶然だった。一ノ瀬泰造氏の存在は知っていたが、ここで亡くなったこと、お墓の存在は聞いたことが無かった。 ノートには、お参りに来た人達の言葉が書いてあった。自分も一言、書かせてもらった。

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