ソフィア〜ビキの人々
2004/8/27
昨日イスタンのツリーに居た青年4人組がやって来た。一人の京都の学生さん〜ナミカワ君は私と同室、旅立った大工君と入れ替わりに今朝、3年日本に帰国していないというTAKAさんが加わった。
ナミカワ君達ツリーの4人は、ブルガリアからチャリで来年の1月までにイギリスを目指す予定だった。チャリダー軍団誕生である。彼らは早速、チャリとキャンプ用品の買い出しに出かけた。
私も教会で十字架を購入しに行った。今日も量り売りワインを買うため、ペットボトルを持って出た。
アレクサンダル・ネフスキー寺院で小さな十字架とマリアのマグネット付飾りを買った。フラフラ歩くと、街中で温泉の飲料所を発見した。たくさんの蛇口があり、市民がポリ容器に温泉を汲んでいる。飲んでみると温かくて少し甘い。ワイン購入用のペットボトルに温泉を汲み、中華料理屋「南国」へ行った。
南国で食事を終え外に出ると、道の真ん中で一人の少年が寝転んでいた。手にはビニール袋を握り締めている。シンナー少年だ。今時シンナーという言葉すら聞かなくなったが、この街では人通りのある道や大通りでシンナー少年少女は時々見られた。
右:アレクサンダル・ネフスキー寺院
同室者TAKAさんは興味深い人物で、実際の年齢より大人びて見えた。彼はワーホリでカナダに住み、その後ベルリンでバーテンをしたりしてエジプト、中東、欧州などを3年間旅していた。イスラエルで日本人ジャーナリストのアシスタントをしたこともあったので、日本に報道されていない中東情勢の事を教えてくれた。
そこにチャリダーデビューの準備も出来たナミカワ君も加わり、3人で酒を飲んだ。
ソフィア〜KEN氏到着
2004/8/28
早朝KEN氏が到着した。ツリーの安藤さんも一緒だった。大学生君は無事ツリーに来たとのことだった。そしてツリーの話をしていると、ヨルダン・アンマンで出会ったHANAさんが私がイスタンに居たときにそこに滞在していたことが判明した。安藤さんは中澤君も知っていた。私はツリーに泊まればよかったと後悔したが、もう遅かった。大体皆が泊まるところは決まっているので、再会出来ても不思議ではなかった。
早速2人で南国に行った。KEN氏はソフィアの街に魅力を感じなかったので、明日私達はブラゴエフグラッドに出発することに決めた。昨日からビキ婆さまは居なくなり、代わりに妹夫妻が来た。KEN氏に絶対婆さまに会って欲しかったので、残念だった。が、妹夫妻は親切で可愛い老夫婦だった。
ブラゴエフグラッド
2004/8/29
今朝ツリーのスズキ君とアンドウさんが到着した。チャリダー君達は天気が悪いので明日出発する予定だと言った。皆に挨拶をして、私達はビキを出発した。彼らとはブダペストで再会することになる。
バスは森の中を走り、ブラゴエフグラッドに着いた。まず宿探しである。最初に行ったインフォメーションは高級ホテルのインフォだったので、安宿の紹介はしていなかったが、旧市街の旅行会社を教えてくれた。大分歩いてベルを鳴らすと、犬が出てきた。中の応接室に通されると、ここで宿の紹介はしていないので街のプライベートルーム紹介所に連れて行ってくれると言う。おばさんに連れられてそこに向かった。途中で民芸品工場を見せてもらったりして、紹介所に着いた。書類を書いていると、プライベートルームの家主のマダムが迎えに来た。
住宅街に並んだファミリー向けマンションの一室がプライベートルームだった。私達の部屋は高校生っぽい男の子の部屋だった。サッカーチームのポスター、棚に並んだ文庫本、家具も子供部屋らしい。息子が夏休みのキャンプなどで留守なのか、進学や就職で家を出たのか分からないが、空き部屋を利用したお母さんのちょっとした小遣い稼ぎだ。ベランダに葡萄の蔓が絡まって、日当たりも良く、清潔で私は気に入った。親切なマダムはランチまで出してくれた。
洗濯を済ませて、私達は観光に出かけた。KEN氏はここからリラの僧院へ、私は旧市街と郊外にハイキングに行った。
旧市街は小さかったが、リラの僧院に似たブルガリアらしい縞模様の教会があったり、キレイで良く手入れされた民家があり、湧き水が流れていたりして美しかった。右:旧市街の子猫
旧市街を出ると、山に続く道があったので登った。そこは公園らしかったが、雑草が生い茂り、彫刻や石のベンチがなかったら公園とは分からないくらいに荒れ放題だった。
プロウディフ
2004/7/30
バスターミナルから歩いて、宿を斡旋してくれる旅行会社に向かった。
途中で道を聞く為に高級ホテル・ノボテルに入った。フロントの女性は地図をくれて親切に説明してくれた。しかし目的の旅行会社がある住所のテナントには、電器屋が入っていた。中に入って尋ねると、インターナショナル・トレードセンターにある旅行会社を教えてくれた。
センターの玄関に入ると、若い女性が話しかけて来た。日本語だった。それもかなり流暢だ。彼女はここで働いていて、日本で仕事をしたこともあるのだった。案内された旅行会社には予算内に収まる宿が無かったので、新市街のプライベートルーム斡旋所みたいな所を教えてくれた。彼女はもしもの為に私達に携帯の番号を教えてくれた。そしてプロウディフの歴史センターで働いている日本人女性と友達だった。ブルガリアの地方都市で日本語ペラペラの現地人に出会う事にも驚いたし、日本人が働いている事もそうだった。ブルガリアは、未知の遠い国だと思っていたからだ。今回その日本人女性と会うことはできなかったが、次の目的地ヴェリコ・タルノヴォでは水の調査に来たJICA(ジャイカ)の日本人青年と出会った。
新市街の斡旋所でプライベートルームを紹介してもらった。YHより大分安い。中心地にも近い、閑静な住宅街のマンションだった。プラチナブロンドの可愛いマダムが出迎えた。部屋もキレイで、十分満足。
中央広場に設置されたステージで何やらイベントが行われていた。オシャレな店が多く、欲しくなる物が多かった。首都ソフィアよりもセンスが良く洗練されている。ソフィアに多い過剰な露出の女の子もいない。ウィンドーショッピングやネットカフェでメールチェックをし、夕食とビールを買って宿に戻った。
プロウディフ
2004/7/31
旧市街は規模は小さいが、美しかった。緑が多く、空気がきれい。有名観光地だが派手な店が無く、石造りの家々が立ち並ぶとても雰囲気のある街だ。
街のはずれの丘から、大通りを挟んだ反対側の新市街を眺めた。当然高いビルや近代的建物が見え、美しいとは言えなかったが見晴らしが良く、街の発展を見るようで面白かった。
散策していると、街外れの小さな教会で結婚式があったようだ。生演奏をバックに、純白のウェディングドレスの美しい花嫁が出てきて皆の祝福を受けて車に乗り込んだ。
隅々まで街を見て、帰路にさしかかるとKEN氏を見つけたので一緒に宿に戻った。
広場に面したカフェでビールを飲む。私達2人ともブルガリアンに対する印象はかなり良かった。今日の女性も親切だったし、この店のウェイトレスも明るくてサービス満点だ。
ますますブルガリアン好感度はUPするばかりだった。
ヴェリコ・タルノヴォ
2004/8/1
ヴェリコ・タルノヴォ到着。まずは腹ごしらえ、適当なレストラン・バーに入った。ビールを飲みながら、奥のテラス席からの眺めは壮観だった。湾曲して流れる川、谷を囲んで建つ歴史的な民家が見事な景観を造っていた。民家はトルコのサフランボルに似ていた。
プライベートルームの客引きがいないか期待して歩いていると、一人のおじさんに話しかけられた。プライベートルームを紹介してくれるとの事。街の中央に位置するアパートに連れて行かれた。
階段を上がって3階に案内された。出てきたのはショートカットの小柄なおばさんだった。値段交渉して、朝食まで付けてくれることになった。私達の部屋は眺めの良い谷の反対の道路側だったが、それは別に良かった。
宿を確保したので食料調達する為、街の入り口で見かけたスーパーに向かった。すると、日本人のオッサンらしき人に話し掛けられた。旅行者だった。年齢や話の内容からして、定年退職して長期旅行に来たのだろう。オッサン「もし良かったら、情報が知りたいので一緒にコーヒーでも?」「いいですよ」
と言っている所に、今度は日本人の青年が通りかかった。彼はJICAから水の調査でブルガリアに来ていたのだった。
そして、近くのピザ屋で4人で茶を飲んだ。私達はJICAの青年と話したかったが、オッサンは自分勝手に彼とだけ話したがって、しかも自分から私達に「情報を教えてくれ」と言っておきながら「キミ達はもういい。私は彼に話があるから」とほざいた。若者に張り合いたいのだろう。日本人のパッカーデビューしたばかりのオッサンにありがちや。とりあえず挨拶をしてその店を出た。
今夜も毎晩恒例、テラスで飲み会!2リットルペットボトルのビールはすぐに無くなったので、酒を求めて外に出た。バーか酒屋を探しながら外灯が無い暗い道を歩いた。人はいない。独りなら絶対出歩かないだろう。しばらく歩いていると、私は道の反対側にいる不審な男に気が付いた。明らかに私達の後をつけている。進行方向に明かりは見えない。すぐに私達は来た道を引き返した。
店らしき明かりが見える坂を登ると、店じまい寸前の酒屋があった。付近には赤いランプに照らされた、妖しげでゴシック風なバー、客で賑わう居酒屋が2軒あった。人のいる所に来たので不審な男は去った。ゴシック風に見えたバーは、近寄って様子を見ると少し違っていた。店内は真っ赤だ。隣の丸太小屋風居酒屋でビールを飲んだ。この店は安くて美味しく、雰囲気も気に入ったので、次の日のランチも夕食もここで済ませた。
ブルガリア、いつものことだが飲みまくる
2004/8/2
今日は本格的にヴェリコ・タルノヴォ散策だ。旧市街の坂を登り見晴らしの良い丘にでた。ここから川を挟んで遠くに教会のある丘(下画像2点)が見えた。長い城壁が見事だ。
博物館に行きたかったが見つからなかった。
谷を降りてモニュメントから崖に建つ民家を眺める。美しい風景だ。民家はサフランボルに似ているがやはりどこか違った。自分が宿泊しているプライベートルームも見えた。大きな鉄製のモニュメントは共産チックで民家に似合っていない気がした。 右:谷底に建つアッセン王モニュメント
 今日でブルガリアは最後だ。人々は素朴で親切、プライベートルームもマダムは全員親切で部屋もすぐ見つかった。
私達にとってここは、意外に旅しやすい国だった。物価も安く、食事も酒も美味しくて満足!
ブルガリア最後の夜も、例の居酒屋でビールを飲みまくった。
右:大主教区教会が建つ丘。長い城壁が続く
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