ザモシチ〜スロバキア東部っぽい小さな街 2004/8/23
ポーランドは広かった。早朝バスでザモシチへ。8時間もかかって到着は16時だった。インフォメーションで安ペンションを紹介してもらった。部屋はベッドが6つもあったが宿泊者は私1名だった。オーナーの老人は英語が通じなかったが、身振り手振り、数字を紙に書いたりして意思の疎通が取れた時はお互い喜んだ。こういうときが旅で嬉しい事の中の一つでもある。
街は1時間もあれば余裕で観光できた。スロバキア東部のレヴォチャに似ている。
ルブリン〜夜行生活1日目
2004/8/24
ルブリン城はガイドブックの写真より小さくてがっかりした。しかし中の教会のフレスコ画は素晴らしかった。説明を読んで壁画を丹念に見ると、それぞれの絵が意味する事、位置関係などが分かった。博物館は工事で見学できなかった。
街の真ん中に遺跡があった。そこからの眺めは良かった。下の崖を降りると、野生のプルーンの木を見つけたので収穫した。
インターネットカフェを見つけたので、勝手に日本語をインストールしてメールチェックをした。
ポーランドのソフトクリームはあっさりして美味い。甘すぎない。街をぶらついて、バスターミナル付近のスーパーで買い出し、ブッフェでケバブとフレンチフライ、サラダの夕食。インフォメーションはつぶれていて2時間宿を求めて荷物を背負ったまま街をうろついたが安宿は見つからなかった。
今夜は夜行バスで一気に北のグダンスクへ向かう。他の旅行者同様、夜行バス・列車は宿代削減として良く使う手段だ。ポーランドの広い国土はまさに夜行生活にうってつけであった。
グダンスク〜夜行生活2日目。小さな事件と最大のピンチ到来
2004/8/25
朝4時45分。グダンスクのバスターミナル到着。外は当然真っ暗だ。バスターミナルの待合室も閉まっている。同じバスからポーランド人の旅行者らしき若い男女3人組が降りて、私同様ベンチで夜が明けるのを待っていたので助かった。
5時半頃から明るくなって、人々が出て来たので街に向かった。途中の屋台で焼きたてのパンを買い食いしながら朝靄の中を歩いた。
グダンスクは美しい街だ。朝早いので誰もいない。教会の鐘が鳴り響き、広場ではカフェの開店準備が始まった。
囚人の塔は工事中で残念だった。運河沿いで休憩した。街の風景を見ながら、教会を見学して、製粉所付近のカフェでポーランド料理の朝食〜ソーセージとキャベツの煮込みと丸パンを食う。運河の横に建つ製粉所には大きな水車があり、キレイに手入れされた公園もあって雰囲気が良かった。
街の教会を一通り見学し、街中心に戻り市庁舎、考古学博物館、海洋博物館を見学。
ポーランドの人はソフトクリーム好きなのだろうか、ここでもどこでもソフトクリームを持っている人が多い。広場に2軒のソフト屋が並んでいた。1つは5,6人が常に並んでいる。もう一方はたまに1,2人が買う程度だ。私は列を作る事が出来ない人間である。食事時に並ぶくらいなら、食べない方がマシなのだ。
しかし!今回は違った。繁盛しているソフトクリーム屋のソフトは高さ15cmがトグロを巻く特大サイズであった。しかも3.5zl(約\100)バニラとチョコ、ミックスもある。それはかなり美味そうで、大人も子供も皆、満面の笑みでペロペロ舐めている。
迷わず列に並んだ。しばらくはでかいソフトを食うのに一生懸命、満足満足!
そして、街外れの古い教会でアートのイベントを見学し、フラフラ歩くとコンテナを改造した屋台を発見した。
そこで事件は起こった。
大柄なおばちゃんが笑顔で手招きした。いい人そうな笑顔だった。メニューはポーランド語だったので分からなかったが、おばちゃんが指を指して「これがオススメだよ!」と言うヤツを注文した。コンテナが厨房で、横のテント下に丸太の机と椅子が並び、手作りの貝殻や漁師網で作られた飾り、植木鉢が並ぶ可愛らしい店だ。出てきたものはポーランド風ポテト入りお好み焼きだった。素朴な美味しさだった。そしてコンテナのレジで飲食代を支払った。会計したのはオーナーらしき大きいおばちゃんではなく、パートっぽいおばさんだった。愛想良く、ポーランド語でありがとう!と言った。
土産屋などをうろつき、漢字の看板のカフェに入った。そこには世界中の紅茶や中国茶、日本茶があった。マスターは美形のポーランド青年だった。ダージリンを注文して、席に座って現在の小銭がいくら残っているか確認した。
そして、さっきのコンテナ屋台での釣りが2zl(約\60)少ないことに気が付いた。ショックだった。たかが60円をボルだろうか?いくら物価が安い東欧で、60円で何が買える?あの素朴な笑顔のおばさんが?よーく思い出してみる。確かに、2zl足りない。決定的だった。
すぐに荷物をカフェに預けて、コンテナ屋台に走った。ボッたくりか、単なるおばさんのミスかは分からない。でも、60円分の釣りは返してもらわなければいけない。旅で、出来るだけ嫌な思い出は作りたくなかった。
オーナーのおばちゃんと問題のおばさんはいなくて、若い美人が一人いた。私は事情を説明した。彼女は英語があまり分からなかったが、私の説明を熱心に聞いてくれて、理解すると彼女は悪くないのに丁寧に謝って、釣りを返してくれた。
私の気分も晴れて、カフェに戻って日記を書いたり予定を立てていると暗くなってきたのでバスターミナルへ行った。
グダンスク・バスターミナル〜ポーランド最大のピンチ!!!
バスターミナルで時刻表を見ていると、横からポーランド語で話し掛けられた。「え?」とその方向を見ると、小柄な女の子だった。彼女は私の顔を見ると、英語で言い直した。「××行きのバス乗り場は何番ですか?」教えると、爽やかな笑顔で「ありがとう!今日眼鏡を忘れちゃったの」と言った。
10時15分発最終夜行バスでワルシャワに行く予定だった。切符の前売りは無く、バスの運転手から直接購入してくれと言われた。バナナを食いながらターミナルで待っていた。
すると少しラリった感じの青年が「××zlでmy homeに泊まりませんか?」と言ってきた。彼の目の焦点は定まっていなかった。完全にヤバい人だった。当然「No!」とはっきり断ったが、しつこく聞いてきたので、警備員室近くに場所を移動した。だんだん人が少なくなって、ターミナルも閉まり、バスを待っているのは私一人になった。不安である。しかし警備員が一応いる。ソムリエナイフをポケットに忍ばせて、何かあったら警備員室に飛び込もう、と考えていた。
21時50分過ぎ。バスがやって来た。ここで少し休憩なのか、乗客が降りてきてタバコを吸ったりしていた。そして、バスは満席だった…
このバスに乗れなかったら私は今夜ここで野宿である。それだけは絶対避けたかった。必死で英語の通じない運ちゃんに「床でいいから乗せてくれ!これに乗れなかったら私は終わりなんや!頼む!」両手を合わせて拝んだ。嘘泣きもしてみた。運ちゃんは困った顔で腕組みしている。私が土下座をしようとしたとき、女神が現れた。
乗客のモデル系美人が、英語で通訳してくれたのである。彼女の親切に心から感謝した。美しい人は心も美しいのだ!私は床に座ってバスに乗れることになった。切符は無く、40zlの正規運賃で、その金は運ちゃんの小遣いとなった。さすがにこのときは「Student!」とは言えなかった…2夜連続の夜行生活。
一番前の座席横の通路に置いたポリタンクの上にタオルを敷いたものが、私の立派な座席だった。運ちゃんは私にコーヒーや飴をくれたり、変わりばんこに運転交代の人用の補助席に座らせてくれた。
ワルシャワ〜ショパンの家、MUSEUM。ショパン一色の一日
2004/8/26
朝4時45分。まだ真っ暗、ワルシャワ到着。バスターミナルの待合室はまだ開いていない。同じバスの人たちがいたので安心した。待合所が開いて、明るくなるまで待った。緊張しつつ、トラムで中心部へ。念のためメールで予約してあったOkiDkiHostelへ。場所は分かりやすくスタッフも親切でオシャレでキレイだ。
さすがの私も、2夜連続夜行生活でフラフラだった。鏡に映った汚い顔は、まともに寝ていないのでやつれて頬がこけていた。しんどいのを我慢して、外に出た。マクドで朝食。ボケているので間違えてHappyMealを注文してしまい、ディズニーのマーメイドのポーチをもらってしまった。
 そしてワルシャワのメイン、ショパンの生家を目指してバスターミナルへ行った。ここに行きたいからワルシャワに来たと言っても過言ではない。バス乗り場で待っていると親切なマダムが「ショパンはこのバスよ」と教えてくれた。同じバスに日本人男性がいて、彼と一緒にショパンの生家に向かった。
緑に囲まれた、上品な小さな邸宅だった。ショパンが使用していた楽器、家具、家族の写真などが展示されていた。庭ではショパンの曲が流れ、それを聞きながら美しい花の中散策し、雰囲気に浸った。
帰りのバスを待つ間に、梨とプラムを収穫した。
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